足元の金利上昇と実質的な期待利回りの参考指標
現在の国債金利は2014年の水準を大幅に上回っているが、同時に名目賃金上昇率も高水準で推移している。このため、足元で国債金利(10年)が2.9%まで上昇したものの、実質期待リターン参考指標は低水準でとどまっている可能性がある。
そこで、最近2年間(2024年6月~2026年5月)の、国債金利(15年)、名目賃金上昇率、実質期待リターン参考指標を確認する。実質期待リターン参考指標の推移を見ると、一時よりマイナス幅は縮小したものの、マイナス圏内での推移は続いている。デフレからの脱却、日銀による金融政策の正常化、安定した経済成長により国債金利は上昇傾向で推移している。名目賃金上昇率は、人手不足、円安による物価上昇と好調な企業業績を背景として大幅上昇となっており、この影響の方が大きくなっている。最近1年間(2025年6月~2026年5月)の実質期待リターン参考指標の平均は ▲0.2%となった。
また、政府が「骨太の方針2026」で示した「実質で1%を上回る、名目で3%を上回る経済成長」を踏まえるならば、名目経済成長率と名目賃金上昇率は一致するものではないが、名目賃金上昇率は3%を若干上回る水準と見込まれる。加えて、足元の国債金利(15年)の水準は3.2~3.3%程度で推移していることを考慮すると、実質期待リターン参考指標(足元の国債金利(15年)- 名目賃金上昇率)はゼロ程度と考えられる。

現在の基本ポートフォリオの運用目標は、2014年10月の1.7%から1.9%へと引き上げられており、基本ポートフォリオに対する要求水準は高まっている。従って、長期金利(名目金利)の上昇を主な理由として基本ポートフォリオを見直して国内債券比率を引き上げることは、従来の運用目標との整合性を考慮すると正当化しにくい。

GPIFの運用を支える制度上の枠組み
冒頭に記したように、骨太ショックは金融政策を担う日銀の独立性に対して市場が懸念を抱いたことが一つの要因の可能性がある。日銀は日本銀行法により独立性が確保されていることに対し、GPIFは厚生労働大臣の認可を要するなど制度上の位置づけは異なる。GPIFの運用は、厚生年金保険法第79条の24では、積立金の運用を「専ら厚生年金保険の被保険者の利益のために」「長期的な観点から安全かつ効率的に行う」と定めている。GPIFは法律に基づいて公的年金の積立金の運用を行うことを目的としており、この目的を遂行するために他の政策的な要請とは一線を画し、専門的かつ自律的に判断する点は両社に通じるのではないか。
基本ポートフォリオについては、長期運用では基本ポートフォリオを決めて長期間維持する方が効率的で良い結果が得られるとして、定期的に見直しを行っている。また、毎年度、適時適切に検証を行い、必要に応じて速やかに修正するとしている。また、基本ポートフォリオの見直しには、経営委員会での議決、社会保障審議会資金運用部会の諮問、厚生労働大臣の認可を要し、短期的な判断だけで機動的に変更できる仕組みにはなっていない。現行の基本ポートフォリオ策定時には、経営委員会で6回、経営委員会の下に設置された経済・金融の専門家による基本ポートフォリオ検討作業班では20回の議論を行った。
実務面では、GPIFの公表資料を見ると、基本ポートフォリオからの乖離を抑制した運用を行っていることが分かる。足元の内外株高・円安と国内債券安のなかで、GPIFは「各資産25%」の基本ポートフォリオを維持するために、比率が高まった株式を売り、比率が下がった国内債券を買い戻す通常のリバランスを行ったと考えられる。GPIFが国内債券を購入する場合、(1)資産価格変動に伴って構成比を中心値に戻すリバランス、(2)乖離許容幅の範囲内での運用判断、(3)基本ポートフォリオの中心値の変更である。「クジラ」と呼ばれる資産規模のGPIFが、乖離許容幅を能動的に活用し国債を買い増すことは、これまでの運用との整合性やマーケットインパクトなどの観点から考えにくく、また基本ポートフォリオの見直しには慎重な検討が必要だろう。
日銀には物価の安定、GPIFには被保険者の利益という目的があり、それぞれが政府の他の政策的な要請に左右されず、本来の目的に対する判断基準の一貫性を維持することが、市場の信認を支える基盤になると考える。
問われるのは金利水準ではなく判断基準
もっとも、基本ポートフォリオの見直しそのものを否定する必要はない。経済環境や市場は日々変化しており、価格変動リスクの抑制や、将来の給付に備えた流動性の確保など、国内債券を増やす運用上の合理性があり得る場面はあろう。
ただし、名目ベースではなく実質ベースが判断基準となり、国内債券を増やすなどの基本ポートフォリオの見直しにより、賃金上昇率+1.9%をポートフォリオ全体として、より小さなリスクで確保できるかという条件を満たす必要がある。
今回の動きは、GPIFの資産配分をめぐる関心を高めた一方で、公的年金運用が本来どのような基準で判断されるべきかを改めて確認する機会でもある。長期金利の上昇や円安の背景には、財政運営に対する市場の見方など複合的な要因があり、これらへの対応は本来、公的年金運用とは切り分けて考えるべき論点である。GPIFに期待されるのは、運用目標と制度の枠組みに即した判断を一貫して積み重ねていくことだといえよう。市場の信認は、そうした一貫性の上に築かれるものと考える。
(※情報提供、記事執筆:ニッセイ基礎研究所 総合政策研究部 上席研究員 新美 隆宏 )