筆者は試験が大嫌いだった。詰め込み勉強をし、戦略を練り、引っかけ問題や奇妙な方程式、教科書の片隅に載っていたような難解な内容が難問として現れる場面を想像しては不安に駆られていた。

だが、筆者はまだ恵まれていた。フィリピンの中学校に通っていた1970年代、日本の受験地獄について何度も耳にしていたからだ。

この受験地獄という言葉は、大学進学を左右する全国規模の試験に向けた過酷な準備を示していた。トラウマを追体験したい人向けには、同名のホラーゲームまで存在する。受験勉強や塾通い、精神的な苦痛(親の小言は言うまでもなく)はその後、韓国や台湾、中国、インドなどで大学受験文化のひな型となった。

日本では、子どもたちを少しでも受験で優位に立たせるための巨大な学習塾産業が生まれ、その流れはやがて他の国々にも広がっていった。

特に韓国と中国では、単に大学に入ることではなく、将来のキャリアを最大限有利にするために名門大へ進学することが重視されるようになり、その考え方はしばらくの間有効だった。

仕事が足りない

だが、こうした競争が限界にぶつかっている。大卒者が大幅に増える一方で、その努力に見合う仕事が足りなくなっているのだ。

優秀な若者たちは、割に合わなくなっていることに気付いており、それを黙って受け入れるつもりはない(中国ではその反発は諦めを伴う「寝そべり族」として現れているが)。

インドでは最近、風刺的なネット投稿が新たな政治運動へと発展した。最高裁判所長官が失業中の若者を「ゴキブリ」と呼んだとされることがきっかけだ。

この発言は後に撤回されたが、タイミングが悪かった。同僚コラムニストのアンディ・ムカジーが指摘したように、医学部入試問題の不正流出疑惑を巡り学生たちの不満が高まっていた時期だったからだ。

最高裁長官の発言は瞬く間にネット上で拡散し、「ゴキブリ人民党」も結成された。これは、モディ首相率いる与党インド人民党(BJP)をもじったものだ。ネット上で騒動が広がってからわずか3週間後の今月6日、ゴキブリ人民党は抗議集会を開き、教育相の辞任を要求した。

ネパールやバングラデシュ、インドネシアで昨年起きた抗議活動にも同様の要因があった。その多くはまずオンラインで展開され、その後街頭へと広がった。

汚職への怒りが不満の根底にあり、Z世代は自分たちの象徴や物語を用いてそれを表現した。例えば、日本の人気漫画「ワンピース」で知られる「麦わらの一味」の海賊旗も掲げられた。ネパールとバングラデシュでは、その結末は決して笑い話ではなく、政権交代にまで至った。

エリート過剰生産

こうした若者らは、「エリート過剰生産」と呼ばれる社会不安を招く社会経済現象の一部となっている。この用語は、科学者ピーター・ターチン氏によって広められた。乱暴に要約すれば、国家の繁栄と成功が衰退の種をまく過程を説明する概念だ。

ターチン氏は著書「エリート過剰生産が国家を滅ぼす」で、巧みな比喩を用いている。椅子の数は変わらないのに参加者だけが増え続け、音楽が止まるたびに席を奪い合うような椅子取りゲームを想像してみてほしい。

このエリート過剰生産という概念は、ロシア革命やフランス革命の説明にも用いられている。どちらも知的活力の高まりと、活躍の場を見いだせない知識人層の増加が社会変動につながった。

ターチン氏の著書は主に米国を扱っているが、最も劇的な例の1つがアジアにある。1850年、中国の官僚登用試験「科挙」に繰り返し落第し、精神的危機に陥っていた洪秀全は、自らをイエス・キリストの弟だと名乗り、太平天国の乱を起こした。この反乱は14年間続き、人口の約1割が命を落としたとされ、西洋列強への対応に追われていた清朝を著しく弱体化させた。

社会不安に

中国でエリート志望者の過剰が社会不安につながったのは、これが初めてではない。中国は約1300年前に科挙という制度を生み出したが、これは19世紀に英国が能力主義に基づく公務員試験制度を導入する際のモデルにもなった。

一部の歴史家は、行き場を失った知識人の増加が17世紀の明朝末期の反乱につながり、満州族による清朝建国を容易にしたと指摘している。

エリートを目指す人が多過ぎる状況が社会不安につながった例は、太平天国の乱が最後ではなかった。1960年代には、大学進学機会の不足に不満を抱く若者らが毛沢東主義の政治で反エリート勢力として動員され、毛は彼らを文化大革命の紅衛兵へと組織した。その結果、ブルジョア的でエリート主義的と批判された大学入試の「高考」は廃止され、中国は混乱に陥った。

皮肉なことに、試験制度がなくなると、コネや人脈が出世の主要な手段になった。毛沢東時代の縁故主義の拡大は、紅衛兵による混乱に苦しんでいた市民の反感を買い、文革終結の翌年である77年の高考復活は歓迎された。

高考は現在、中国社会における重要な人生の節目として広く受け入れられており、昨年は1300万人超が受験した。韓国でも、厳格な大学修学能力試験(スヌン)の際には社会全体が受験生を中心に動くことになる。

若者の不満にどう応えるか

しかし、その苦労に見合う仕事がなかったらどうなるのか。政府は高まる不満を抑え込めるのか。

インドなどは余剰人材を世界に送り出してきた。中国の寝そべり族には、上海や北京、広州、深圳での成功を諦めた人々を受け入れる地方都市という受け皿がある。だが、国内外への人材の分散は問題の先送りに過ぎないかもしれない。

長らく先行指標とされてきた日本は教訓を残している。日本も1960年代から70年代にかけて抗議運動を経験した。その後、多くの若者は悟り世代となり、大きな野心を捨てて第2、第3の選択肢で満足するようになった。

そして、変化が起きた。受験地獄が和らいだのだ。2000年代初頭までに、出生率の低下によって進学や就職、昇進を巡って競争する若者の数が減少した。競争相手が減るにつれ、多くの狂騒も消えていった。

高齢世代を支えるコストの増加など、人口減少は新たな問題をもたらすが、若者を取り巻く競争圧力を和らげる。しかし、中国や韓国、インドにとって当面の解決策にはならない。若者は常にせっかちだ。そんな若者の不満にどう応えるかが各国の政府に問われている。

(ハワード・チュアイオン氏は、ブルームバーグ・オピニオンのコラムニストで、文化とビジネスを担当しています。以前はブルームバーグ・オピニオンの国際エディターで、米誌タイムではニュースディレクターを務めていました。このコラムの内容は個人の意見で、必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの見解を反映するものではありません)

原題:Asia’s Gen Z Talent Is Running Out of Patience: Howard Chua-Eoan(抜粋)

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