■いまも茶屋にまつわる地名が残されている…
江戸時代の呉羽丘陵の景観を描いたとされる絵図、「越中富山舟橋景(えっちゅうとやまふなはしけい)」には「峠茶屋」の表記があります。
現在も富山市呉羽地域には、茶屋町(ちゃやまち)、追分茶屋(おいわけちゃや)、茶屋新町(ちゃやしんまち)といった「茶屋」にまつわる地名が残されています。





過去の文献により存在がわかっていた「茶屋」。呉羽丘陵を南北につなぐ歩道橋の工事を前に行われた発掘調査で、その証拠となるものが出土したのです。

富山市の安田城跡(やすだじょうせき)資料館に展示されている、その「発掘されたもの」とは…。

数々の茶碗、土瓶などの陶磁器です。

富山市埋蔵文化財センター
野垣好史 主査学芸員:
「文献とかではここに茶屋があったことは前からわかっていたんですけど、それが今回、発掘調査でたくさん陶磁器類が見つかったということで茶屋の存在がはっきりと裏付けることができたと」

発掘された茶碗には、「峠茶屋」の文字が…。