「右足は富山、左足は横浜」ルーツである富山への貢献と信頼回復への誓い

前参議院議員 中田宏氏(会合直後の取材)
最後に締めとして、私自身が富山でやってきて、本当にずっと富山の地で、私は本籍地はもう生まれてこの方、今に至るまで富山ですし。そうした意味において、この富山にしっかりと貢献し、自民党の信頼を回復し、そして日本を活力ある国にしていく。これまで日本社会を作ってきてくれた方々に感謝をして次の世代に引き継いでいく。何としても次の世代により良い日本を繋いでいく。そのことをぜひ皆さんと一緒にやらせていただきたいということをお伝えをさせていただきました。それが大体、私の申し上げた内容。今ので大体7割ぐらいは言っているはずです。

記者
富山の小選挙区1区に手を挙げられるというのは初めてだという認識ですがその理由、タイミングとか含めていかがでしょうか?

前参議院議員 中田宏氏(会合直後の取材)
富山1区すなわち、私が本当にずっと子どもの頃からですね、盆暮れになったら、富山帰るぞ。そう言って帰省ラッシュの中で、妹とそして両親と富山に戻ってきた。それが針原ですけど。針原の町袋ですが。そういう意味では、ずっと富山という地においては、私は衆議院議員になって、それこそ地元紙に県人2世、ナカダマサハルさん初当選って、うちの父親の名前の誤報があったんですけど、見出しになってたんですけど。それはともかく、その頃からやっぱりずっと富山というのは意識をしてやってきました。特に今回の、去年夏の参議院議員選挙においては、富山と横浜で僕は戦うと。富山に右足、横浜に左足、富山生まれ横浜育ち。このことで、私自身の、やっぱり日本全国を代表する国会議員にはなるんだけれども、衆議院だって参議院だって。だけど、自分の軸足は右は富山、左は横浜ってずっと言ってですね、やってきて、去年の参議院選挙では本当富山市内では自民党では1位をとらせていただいたということを含めてですね、やっぱりものすごく思い入れがあります。多くの県会市会、市議会県議会の皆さんとも、本当に政策的に議論をさせていただいてきました。そういう意味では、富山1区ということについてですね、私で自民党の信頼回復に繋がる。そして私で富山の発展に繋がる。そのことを期してやれるんならばぜひやりたいという思いでですね、手を挙げさせていただいたということであります。