記憶の喪失と苦渋の決断、公費解体の現実…

ここで75年にわたって大衆食堂を続けている「吉田屋」。

「オムライスお待たせしました~」

店では創業当時から変わらない「オムライス」が人気で、お昼どきには、地元の人や観光客などでにぎわいます。

東京都から来た男性
「町の食堂マニアなんで。チェーン店は全部一緒ですけど、町の食堂はそれぞれ全部味が違うので(そこが魅力)」

先代の父から店を受け継いだ吉田屋 店主、吉田和広さん。妻の藤代さんとともに、震災後も営業を続けてきました。

吉田屋 店主 吉田和広さん
「この辺はそんなに影響がないんですけども、トイレのこの入口。ちょっと補修してあったりしてるんですけど」

店の奥の壁には大きな亀裂が。

記者「ここはもう完全に地震で?」

吉田屋 店主 吉田和広さん
「はい。(地震の)影響で、ひびが入って…あとはこっち。火災報知器の裏側ですね、ここが深い傷になっていて」

妻 吉田藤代さん
「茶碗があってそんなに気にならなかったんだけど、どかしたら、あれ?ってここ(地面が)すごい割れていて。ちょっと何が起きとるか分からなくて、もしこの中におったらどんな音しとったんかなって。これだけ割れる(なんて)。これがちょっと上のところ、2階上がったらわかるんですけど、こんな風に割れて光が漏れている。建物が離れてしまって…」

天井には隙間、厨房の床には段差ができました。半壊の判定を受け、苦渋の選択で公費解体に同意しました。

吉田藤代さん
「さみしいはさみしいよね。前を思えば私たちが小さいころといったらこの商店街とかって、華やかで、あの当時はすごい憧れの建物ではあったんで、まさか壊すという風には考えていなかった」

吉田屋 店主 吉田和広さん
「やっぱり小さい時からこの建物で育ったので、思い出もありますし、(以前は)中央町商店街自体の勢いもあったので、そういったものがだんだん無くなっていくので、住民としてはさみしい思いもあるんですけど、無くなるものがだめなんじゃなくて、次のステップに向けてプラスに捉えて動いていかないとだめかな」

「次へ」と動こうとする住民たちの意志。

その背景には、この街の60年以上にわたる「災害に屈しない」という、住民たちの強い歴史があります。