激しい戦闘で204人が70人ほどに…

手紙の中には戦争の過酷さを物語る生々しい記述が多く見られます。1904年11月26日、旅順総攻撃の直前には次のように記されています。

手紙:「我が軍は決死隊となって今回は戦死か負傷をする覚悟であります。弾丸の下で南無阿弥陀仏を唱えずに飯を食らう」

また、1905年3月25日、奉天を占領した直後には、こんな言葉も…。

手紙:「我が中隊には204名おりましたが相次ぐ戦闘で130名余りが死傷し今となっては70名ほどとなってしまいました。誠に寂しい」

忠保さん:「もしかして自分かもしれないからね、亡くなることがね。やっぱり自分に重ねているから寂しいってことが出てくると思うんです」