恩師の存在で、東京五輪まで走り続けられた
亀山耕平さん:
「リオ五輪に行けなかった。もう引退かなと思ったら、次は私の社会人になってからの恩師の米田功さんが『亀、やめてまうのか勿体ないだろ、亀ならいけんで』と。自分の才能を引っ張り上げてくれたのは米田さん。『この4年間に必ず深みが出てくるからやり切った方がいいよ』って。恩師に言われれたら『わかりました!』って言うしかないし」

アテネ五輪・金メダリスト 恩師の米田功さん:
「世界で戦えるあん馬の演技をしているっていうことは、ずっと思ってたんです。状況が悪くなってきた時の選択って間違っていくんですよね。下がった時にやってきたことを変えようとか、何か違うことを。そこの選択の精度落ちるところを『いや今のままやっていたら絶対前に進んでいくから、これをしっかり継続していこう』とか、そういうサポートは意識的にはしてました」
亀山耕平さん:
「東京五輪まで4年間、コロナで5年間ですけれど、走り続けられてきたのは本当に人のおかげ、自分は何もやってないです」

一度は諦めた夢の舞台、さらにメダルに手が届く位置で臨んだ決勝。周囲の期待が高まる中で、亀山さんには結果以上に、伝えたい「思い」がありました。