◆生まれた子どもの口にテープを張った

私にとって、今回の裁判で一番ショックだったことは、スオンの犯行当日の動きでした。

彼女はたった一人で出産した後、全身の痛みとめまいを感じながら、ゆっくりと移動して自分の身体から流れ出る血を止めようとしたり、洗ったりします。

そして、手足を動かし大きな声で泣きわめく赤ちゃんの口に、長さ14cm幅5cmほどの白と青の粘着テープを張りました。理由は「泣き声が外の人に聞かれるのが怖かったから」。

質疑が進み、女児が羊水や血液で濡れていたり、手足を動かしたりしたために、テープはすぐに剥がれ落ち、その手に張り付いたことがわかりました。私はホッとしましたが、実は彼女は、赤ちゃんの口に再びテープを張ったのです。今度は緑色のものでした。

司法解剖の結果、死因は「窒息、または低体温症」とされています。スオンは「テープは鼻にはかかっていなかった」と言い、赤ちゃんは1~2時間は生きていたとされることからも、このテープが死亡の直接の原因となったかどうかは不明です。

私は、彼女が何をしてしまったのかようやく知ることができた、と思いながら、かすかに描いていた「彼女は悪くないのでは」という望みが打ち砕かれたと思いしりました。

彼女がやったことは、たぶん最悪で、彼女自身がそれを自覚し、反省しているからこそ、事件について話したくなかったし、他の人を責めることもしないのだと強く感じました。

こんな壮絶な瞬間の行為について証言する時でさえ、彼女は言葉少なに問われた事実だけを答えました。その時の気持ちや自分の状態を付け加えることはなく、弁護人に逐一尋ねられてようやく、「血まみれだった」、「立っていられないほどだった」、「全身が痛くてめまいがした」、ということがわかりました。

◆そして抱き上げることはなかった

さらにスオンは、生まれた女児を1度も抱き上げることがなかったそうです。

身体に付着した羊水や血液を拭きとられることもなく、毛布などで包まれることもなく、口に粘着テープを張られて、外気温が12~13℃という11月の昼間に、木製の床の上に放置された女の子は、生まれて1~2時間で動かなくなっていた、とみられます。

濡れた女児の体からは、水分の蒸発と共に、熱が奪われていきました。窒息でなかったとすると、その女の子は体が冷たくなったために亡くなったのです。私はこれにもゾッとしました。


結審の後、私は拘置所にいるスオンに再び会いに行きました。18回目となる面会は、通訳が不在で、たどたどしいやりとりに終始しましたが、彼女が私に「裁判を見ていてどう思ったか?」と聞いてきたことはわかりました。

「びっくりした」と伝えると、「びっくりしただけか?」と何度か繰り返しました。

私は迷いましたが、正直に「酷いと思った」と伝えました。彼女は悲しそうな顔をして黙りました。

私は続けて、「でも酷いのはあなたのやったことだけではないと思う」と伝えたかったのですが、こんな概念的な言葉は、通訳なしには伝わりませんでした。


裁判では、男性検事が執拗に、「母国に残した我が子が泣けば抱いてあやすのに、この時生まれた女児が泣けば口に粘着テープを張り、抱くことさえなかったのはなぜか?」、と問い詰めました。「母は子を抱くはずだ」と信じて疑わないかのような彼の態度に、出産直後の母子の様子を見たことがあるのだろうかと疑問に思いました。

私も、スオンが赤ちゃんを抱いてやれたら良かったのに、と思わずにはいられません。抱けば彼女の衣服で水分は吹き取られ、保温され、もしかしたら愛情が芽生えて、死なせずに済んだかもしれません。

しかし、自分がその立場だったら、本当に抱き上げられるだろうかと自問します。産道を通って出てきたばかりの、グニャグニャでベトベトの赤ちゃん。誰にも拭いてもらっていないのなら、その子は血まみれのはずで、あたりは水浸しで、へその緒を切ってもらうことさえなかったのなら、それは両手を広げたくらいの大きさのレバーのような胎盤とつながっているはず…。

「発覚すれば帰国させられる」という焦りの中で、たった一人で全身全霊の力で出産した直後に、合わせて4kg程度になるであろう、その複雑な形の生命体を、誰もが抱き上げられるものでしょうか?

そして裁判では、こんな壮絶な孤立出産の当日にも、命が助かるチャンスがかすかにあったことがわかりました。

◆最後まで助けを呼べなかった

出産直前の朝も、スオンは出勤していました。

裁判で読み上げられた日本人の同僚の供述調書からは、彼女が出勤したものの、トイレの頻度が高く、顔色が悪く、お腹が痛いと言ってしゃがみ込むほどだったことがわかりました。

早退を申し出た彼女に、同僚は「赤ちゃんじゃないよね?」と尋ねますが、彼女は「大丈夫」とだけ答えました。そして彼女は1人で帰宅します。日本語がほとんど話せない彼女の様子を見に来る人は誰もありませんでした。

出産直後の彼女のスマホには、ベトナム人の友人からの連絡も入りますが、彼女はどう応答したか覚えていないと証言しました。

検察は、どうして赤ちゃんが生まれそうになった時、また生まれた直後にさえ、誰にも連絡しなかったのか、と尋ねました。質問の仕方を変えて何度聞かれても、彼女は長い沈黙を繰り返しました。私は、彼女がどうしていいかわからないほどの混乱状態にあったことを想像しました。助けてほしかったんだろうな、と思いました。

裁判官は丁寧な口調で、長い沈黙の理由を尋ねました。彼女は「とても緊張していて頭で何も考えられない」と答えました。当時、という意味なのか、証言台にいる今、という意味なのかはわかりませんでした。ただその後、「赤ちゃんが死んでしまってもいいと考えたのか?」という問いには、「そうは思っていなかった」と否定しました。「それならどうして助けなかったのか」、と繰り返される質問には、動揺していて誰かに連絡を取ることまで考えられなかったこと、自分の身体が疲れ切っていたために赤ちゃんを助けられなかったことをポツポツと語りました。そして、自分勝手だったと何度も詫びました。


結果、孤立出産の末に生まれた子はやがて動かなくなり、スオンはその子を段ボールに入れて庭に埋めます。ベトナムでは、亡くなった人を土葬する習慣があります。彼女は、鍬で掘った穴に段ボールを入れてからは手で土をかぶせたそうです。

「愛おしい気持ちで、赤ちゃんの身体を傷つけたくなかったから」と言って、証言台の彼女は涙を拭いました。

◆でも名付けていた

結審の日、裁判長に「最後に言っておきたいことがあれば」と促されたスオンは、赤ちゃんを「ニィちゃん」と名付けていた、と明かしました。そして「ニィちゃん、ごめんなさい。お母さんを許して下さい。この1年間あなたのことをずっと考えています。本当にごめんなさい」という言葉で締めくくりました。


結審後の面会で、私は「ニィちゃん」という名前の意味を尋ねました。その名前には、「かわいい」「優しい」という意味がある、と彼女は言いました。