この法律によって作られたインフラの1つに平和大通りがあります。戦時中に建物疎開をしてできた防火帯を基に整備された全長およそ4キロの道路です。78年前のあの日、建物疎開に動員された人たちが原爆の閃光に直接さらされ、犠牲になったこともあり、数多くの慰霊碑があります。

小林康秀 キャスター
「『平和への思いを共有するまち』の鍵となるのがこの平和大通りです。松井市長は子どものころの思い出も交えながら、この通りの再整備のビジョンを話しました」
1953年生まれの松井市長は、少年時代の平和大通りを今も覚えているといいます。
広島市 松井一実 市長
「やせた木がぽつんぽつんとあって、原っぱがずっと続いてるような所だったんです」
― 今みたいに緑が多い感じでは?
「全然ない。もう何十年も前だもんね。まだまだ車も当時、少なかったからね、走ってもぽつんとしかね」

広島市 松井一実 市長
― 平和大通りの目指すべき姿は、市長はどんなふうに描いていらっしゃいますか?
「1回行くと『なかなかよかったね』『また行ってみようか』と、そんなふうになる道。だから理想は『平和のシンボルロード』にするといったことが目標値なんです。今ある慰霊碑とかいろんなものも、それはそれでちゃんと保存しながら大事にして、空間ごとの整理をきちっとしていくと」
