森保監督の同期(マツダ時代) 利重忍さん
「決してボールリフティングがうまいとか、足がむちゃくちゃ速いというわけではないが、その時その時の判断のスピードが速い」


当時のオフト監督のもとで才能が開花します。


利重忍さん
「決して派手ではなくて、こぼれ球を狙うとか。オフトさんの言う『こういう時は、こういうポジションをとって、シュート打ちなさい。打って、終わりなさい』ということを真面目にやって、ゴールにつながっているとか」


グラウンドを離れると、よく遊びに行ったそうです。


利重忍さん
「オフのときには寮で若者がワチャワチャやってるときには、どこに行く? オフに寮で若者が集まって、誰かの車に乗って絵下山にドライブ行こうと。そんな感じでよく遊びに行っていましたし」


RCCに残る30年前の森保さんのインタビュー映像です。


森保一 監督 1992年9月放送 サンフレッチェ広島 選手時代
― サッカーの一番の魅力は?
「チームプレーですよね。誰かが誰かを助ける。特に勝てれば、勝った喜びは、大きい試合になればなるほど感動しますし」


オフト氏が、日本代表の監督に就任すると、森保さんは代表に召集されます。


森保一 監督 1992年10月放送 日本代表招集時
「思ったよりハードなんですよね」

― その割にはかなり動き回っている印象。
「それは、まあ、ぼくの取りえですから」


日本代表 オフト監督(当時)
― 森保はどうですか?
「問題ない。だいじょうぶ」

森保一 監督 2011年12月 サンフレッチェ監督就任
「サンフレッチェの監督になるのは、夢見ていました」


選手引退後、年代別の日本代表のコーチなどを経験し、念願のサンフレッチェ広島の監督に就任します。在任(2012年~2017年)中にリーグ優勝3回。名将としての地位を確立しました。


森保一 監督 2015年 サンフレッチェ広島 監督時代
「優勝、おめでとうございます」


そして、オリンピックの監督に続き、日本代表監督に就任します。

森保一 監督 2018年7月 日本代表監督 就任
「たいへんなことをやらなければいけない。でも覚悟をもってやれば、必ず成し遂げられる」

去年、ワールカップの最終予選で日本は苦戦し、森保監督の進退問題も浮上しました。そんな中、利重さんは、マツダサッカークラブ時代の仲間と激励会を開きましたが、森保監督は批判の声にも動じていなかったそうです。


森保監督の同期(マツダ時代) 利重忍さん
「(森保監督は)『自らネットを見たりはしないけど、耳には入って来るよね。だけど、全然、何とも思っていないし、今、やっていることで勝てる』。イメージはできている」


「今のチームがこの後、どう成長していくのか、今やっていることが必ず実を結ぶというのは、彼の中では答えは見えていたんだと思う。彼は、全然、ぶれていないから、ああいう言葉が出たんだと思います」


スペイン戦を店でサポーターと観戦した後、写真とメッセージを森保監督に送ったそうです。


― 返事は?
「ありました。一緒に戦ってくれてありがとうございますと」


― いろんな方からメールがあったでしょうが、しっかりと返って来るんですね。「ある程度、定型文っぽいところもあるんですけど、それにぼく用にちょろっと何行かは付け加えてくれているところは彼らしいなと」


森保さんのサインは、マツダ時代に利重さんが考えたそうです。


森保監督の同期(マツダ時代) 利重忍さん
「森保が『サインがないから考えてくれ』って、ぼくに頼まれて。いくつか書いてやって、『これだったら描ける?』と言ったら、『これくらいだったら描けるかも』というのをいまだに書いてくれていますんで。ぼくも書けます」

― 生みの親ですからね。

こちらは、レアなマツダ入部当時の森保監督です。


利重忍さん
「入部したときは、パンチパーマで寮に入ってきましたけど」