原爆が投下されてからまだ間もない当時、広島大仏は、市民の “心のよりどころ” とされていました。被爆者の 梶本 淑子 さん(91)は、戦後、本通りの洋服店で働いていたころ、仕事の帰りや配達の途中に広島大仏のもとへ足を運んだといいます。

被爆者 梶本 淑子 さん
「家に帰っても父ちゃんも母ちゃんもいないし。ここに来れば、何か落ち着くとか、優しくなれるのは、お父ちゃんに会いたい気持ちが半分あったんじゃないかなという気がします。似てる感じがするんよね、申し訳ないけど」

1950年の復興パレードでも広島大仏は本通りを練り歩きました。

戦前から本通りに住む 奥本 博 さん(92)は、当時、その様子を自宅前から見ていました。

奥本 博 さん
「店の並びもこんなに華やかじゃなかったですが、それなりににぎやかな行列だった記憶があります」

戦後の復興の一部として人々の記憶に残る広島大仏。そのルーツは、県北にあります。
