しかし、戦後、今度は広島市の人物が、「平和公園の本尊にしたい」と大仏を求めます。そのころ、樽床地区の財政が厳しかったことから、住民たちはやむなく大仏を売り渡すことになります。


清水 重雄 さん
「わしは、これ」


大仏を村から運び出すときに撮った写真です。福田さんと清水さんが写っています。


福田 季弘 さん
「大仏さんの台座がゴミですごく汚れとったんよ。それをタオルで掃除しよったら、(大仏を引き取りに来た人が)『それ、やってくれるな。古い感じがなくなるからやってくれるな』と」


頭と銅と台座に分けて、大人数がかりで運び出したといいます。こうして、「三段峡大仏」は広島市へ移り渡り、「広島大仏」として親しまれるようになったのです。


ふるさとの街で再び、お披露目された広島大仏。行列には100人以上が参加し、本通りと平和公園を往復しました。通りがかった人たちもその威容に驚いた様子でカメラにおさめます。

本通りに住む 奥本 博 さんは、復興パレードの様子を思い出しながら行列を見つめました。


奥本 博 さん
「あらためて、また当時のことを思い出しました。当時はもっともっとすごい行列だった。そういう思いがあります。時代の流れで、それは仕方ないけど、ぜひ広島へまつっていたただきたいですね」


時代に翻ろうされ、各地を転々とした広島大仏。一大行事を終え、12日から宮島の大聖院でお披露目されたあとは、奈良県へ帰ります。