レース最大の大雅コール 途切れることのない応援とランナーの声掛け

糸満から豊見城まで続く、県道256号線。ここでの応援は圧巻だった、ランナーの足が限界にくることを見越してか、酸を抜いたコーラ、冷却スプレー、給水所が次々と用意されていて、小まめにケアをしながら走った。

「ぎりぎり間に合うよ、嘉さん諦めるな」
「まじで走ってる、頑張れ」

嘉アナはこのあたりの記憶はあるだろうか、もう元気よく声援に応えられていなかった。どうにか声援の方向に顔を向けて、少し左手を上げて反応。絞り出すように「ありがと~」と律義に繰り返していた。

「嘉さん、頑張りましょう」
「大雅さんが走るっていったから僕も挑戦したんですよ」

次々と声をかけてくるランナーたち。限界を迎えているはずだが、彼と少し会話をしただけで、パワーをもらっていたようだった。

実際に小禄バイパスで足がほとんど止まっていた女性がいた。嘉アナに気づき声をかけてきた彼女。「大雅さんから元気をもらっちゃいました。走れます、行ってきます」と軽やかにバイパスを駆け上がっていった。

その様子をみて嘉アナはぽつりとつぶやいた。

嘉アナ
「俺のパワーを奪わないでくれ…」

沢山のランナーたちにパワーを吸い取られながら、ヘロヘロで小禄バイパスの緩いのぼり坂もクリアすると、あとは山下交差点をこえ、奥武山陸上競技場のゴールを目指すだけだった。

ここで一回でも足を止めたり歩いたりすると間に合わない可能性があるぎりぎりの時間だった。40キロ地点の手前から3分にわたる生中継を終えた嘉アナに声をかけた。

島袋ディレクター
「疲れてるのは重々承知しているけど、ここからはずっと走って、でも足は絶対につらないで、歩くのもダメ、絶対にゴールしよう」

嘉アナは意を決したように、コクリとうなずき「わかりました」と一言だけ言った。

そこからおよそ2キロ、たぶん会話はしていない、ずっと大丈夫、頑張れと声かけをしただけだったと思う。彼は最後の力を振り絞って走った。

山下交差点を曲がり、セルラースタジアムが見えたー

「よし、いける」

嘉アナの声が明るくなり、目に輝きが戻った。

ゴールを終えたランナー、ボランティアの高校生の花道を横目に奥武山公園に突入。残り時間は6分。懸命に足を前に進め、制限時間でランナーたちの望みを絶ち切ってきた鉄のゲートが見えた。

中継スタッフもスタンバイしていて、嘉アナの中継をするのかしないのか、分からなかったが、確認する余裕もなく、ゲートを通過し陸上競技場に飛び込んだ。

嘉アナ
「間に合った…、やった」

嘉アナと私が重圧から一気に解き放たれた瞬間だった。あとは競技場を4分の3まわってゴールするだけ、さあ行こうと伝えると、彼は強い声で「待ってください」と私を制止した。

「パシャッ」

ゲートを背にキメ顔で自撮り…。あぁ、アナウンサー嘉大雅が戻ってきたと分かった瞬間だった。

陸上競技場をまわる中で、最後のインタビューをした。

Q諦めそうになった瞬間も何度も見てきたけど、なんで完走できた?
「正直完走できないと思った。けど沿道の応援はやまないし、ランナーたちも期待してくれていた。ずっと励まされて、励まされて、みんながいたから完走できたと思います。感謝の気持ちを応援してくれた全ての人に伝えたいです」

そう話すと、嘉アナの目には涙がたまっていた。

顔を反対側に背け、かるく袖口でふき取り、いつもの笑顔でゴールラインを越えた。6時間11分。制限時間の4分前のゴールだった。

テレビやラジオで見せるアナウンサーとしての顔、常に期待に応えないといけないといった自分自身への重圧はNAHAマラソンにおいて、彼を苦しめた。1人の人間として限界を迎え、諦めかけ、笑顔を潜めた時もあった。

しかし彼がアナウンサーだったからこそ、そのプレッシャーを超える声援をもらい、力をもらい、ゴールすることができたのだと思う。今回のNAHAマラソンを通して「アナウンサーと人間の両面の嘉大雅」を私は見た。

そして完走メダルを受け取り、テレビの取材を受けた嘉アナ。

Q嘉さん、あなたにとってNAHAマラソンとは?
「業務です!田久保さん残業つけさせてください」 ※上司の田久保アナ

まさにこれがアナウンサー・嘉大雅。カメラを向けると、最後まで自身のキャラを貫く男だった。

一緒に走った私はあの鳴りやまない嘉大雅へのエールは忘れないだろう、来年も彼が走るのかは、彼のみぞ知る。