RBCではジャーナリストの池上彰さんと共に慰霊の日について学ぶ特別番組「池上彰も知らない慰霊の日のこと」を放送します。池上さんが訪れた読谷村での取材から『戦争体験者からの継承』が揺らぐ実状を考えます。
池上彰が見た 沖縄戦の集団自決の現場『チビチリガマ』
沖縄戦の実相を取材するため、読谷村のチビチリガマを訪れた池上彰さん。

沖縄戦当時、チビチリガマに避難したおよそ140人の住民は、アメリカ兵の残虐な仕打ちを恐れて『集団自決』し、83人が命を落としました。
池上彰さん
「当時アメリカ軍に捕まると暴行を受けたり殺されたりするんじゃないかと、じゃあその前に自分たちで自決しようということだったんですよね」
チビチリガマ遺族会 與那覇徳雄会長
「当時は『鬼畜米英』と教えられていますね。生きて虜囚の辱めを受けずと」
集団自決が起きたガマの内部は、普段立ち入りが禁止されていますが、今回は特別に中に入って撮影します。

チビチリガマ遺族会 與那覇徳雄会長
「ここに当時生活していたものなんですが、散乱していた骨をですね、集めた」
池上彰さん
「これ骨ですよね。小さな骨ですね。子どものでしょうね。うわぁ。こんなに小さな骨を見るとたまりませんね」
「あぁ、これで。自決に使われたんでしょうね。鎌とか包丁ですよね」
毒薬や刃物を使った、肉親同士による殺し合い。戦後38年が経つまで集団自決を生き延びた遺族が、その出来事を語ることはありませんでした。
チビチリガマ遺族会 與那覇徳雄会長
「助かった負い目があって語れないという、だからこのガマは語れないガマ、語ってはいけないガマ」
池上彰さん
「生き残ったことに対する負い目を感じてしまうんですね」

凄惨な歴史を二度と繰り返してはいけない。その使命感から、生き残った人の内、何人かは、当時の出来事を語り継いできました。しかし体験者も年を重ね、今では直接話を聴くことが難しくなっています。
チビチリガマ遺族会 與那覇徳雄会長
「ここのガマの体験者が今3人いるんですが、お話が出来なくなっています。今年の慰霊祭もですね、ひとりも参加していないんですよ」
池上彰さん「そうなんですか。これからそういう伝承といいますか、どうやって若い人に伝えていくか、大きな課題ですね」