片桐さん
「これはインディアンオーク号が積んでいたワインの瓶になります。上げ底になっているのがわかりますか。ワインは今でも上げ底の構造をしてますのでこれがワインの瓶だということがわかるかと思います」


インディアン・オーク号は、中国・当時の清朝とイギリスとの戦争、アヘン戦争に参加する船だったとされていて、そのことを今に伝える貴重な資料も見つかっています。


片桐さん
「次はこの薬莢ですね。このインディアン・オーク号はアヘン戦争に参加したといわれています。この船が武装した船であった可能性が高いということを示しています」

インディアンオーク号が中国の海域を航海していたことを示す資料がこの欠片だといいます。


片桐さん
「海底で今のところ見つかっているのは割れたものになります、当時中国の焼き物というのは世界的にも非常に価値が高い焼き物として評価されてました。世界中に流通していますしヨーロッパの人たちも中国の焼き物を欲しがっていたということがわかっています」

片桐さんは中国の陶器がきれいな状態でなく欠片しか残されていない理由をこう考えています。


片桐さん
「当時の記録で助けられる積み荷はできるだけ集めてしっかりとその(北谷町民が)返してくれたという記録が残ってるんですよ。だから形のいいものとかはしっかりと当時返されていたかもしれない」


中国、清朝と交流があった琉球王国。その清朝と戦争をしていたいわば敵国の船、インディアンオーク号を北谷の人々が助けたことを証言した記事が事故からおよそ半年経ったイギリスの新聞に残っていました。



片桐さん
「彼らはですね、あのリーフで座礁したんですけれどももう命からがら逃げだしたらしいんですよ。その時に北谷の人たちがとてもやさしく介抱して助けてくれたという記事がしっかりとロンドンで発行された新聞に記載されています」


それから時を経た2000年。沖縄サミットの際に当時のイギリス・ブレア首相が北谷町を訪問したことを機に再びイギリスとの交流が始まります。スピーチコンテストで選ばれた町内の中学生をイギリスへ派遣する取り組みを行っているのです。

2016年、当時桑江中学2年生だった崎浜空音(さきはま・そらね)さんもその1人。崎浜さんは北谷町民であることに誇りを持ったと話します。


イギリスに派遣された崎浜空音さん
「昔の北谷町民の方々がこうやってつながりを作ってくれたので本当にとても感謝していてまたこれからもずっと繋がっていってほしいなと思います」

元々は内気な性格だったという崎浜さんは派遣を経て将来の夢も見つかりました。


崎浜さん
「ウチナーンチュの人の人権を守れる人になるために弁護士、そして沖縄とアメリカの問題でしたら国際弁護士として何か基地問題だったりアメリカとの問題を解決できる人になりたい」



180年前、当時の北谷に生きた人々による救出の物語。片桐さんは北谷の人たちにその歴史を感じてもらいたいと考えています。


片桐さん
「将来的には北谷の人達にあの場所で歩いてみたり潜ってみたりして、そこに本当に西洋の船があったんだっていうことを実感してもらえるそんな場所になっていくといいと思います」


北谷町を訪ねると、180年前の北谷の人々のやさしさと今もつながる温かな交流に出会いました。


(記者MEMO)
VTRでも紹介したインディアン・オーク号の遊具は北谷の人々の功績を伝えようと、1995年に建てられ、去年リニューアルしました。リニューアル後はもっと多くの人に楽しんでほしいと滑り台などの遊具を3倍に増やしたそうです。ぜひ一度北谷町の安良波公園に足を運んで、遊具で遊んでみてはいかがでしょうか。