経営した店を「捨てて」38歳で海を渡る
県立普天間高校の被服科で服飾を学び、美容学校でも研鑽を積みながら、着付け師として活躍。
着付けの指導をしながらエステサロンを経営していた38歳のときに渡米。活躍の場を広げてきました。
――米国で活躍していても、ウチナーンチュ(沖縄人)だから頑張れた部分は?

押元 「沖縄で育った自分がいる。沖縄の(青い)海とか、(赤花とも呼ばれる)ブーゲンビリアなんて、屋敷にいっぱいあったし…」
「そういった “色” をよく見て育ってきた。“色彩” というのは、沖縄の人じゃないとできないものはあるかな、と思いますね」
――38歳で、仕事があったなか渡米。怖さもあると思うが
押元 「そうですね、ほとんどそう言われます。食べていくにも困らないし、(経営していた)エステサロンもあり、お客さんもいたので。でもふと思った時に、(人生)このままでいいのかな。まだ何でも可能性がある、できる、と思ったんです」
「ダメなら帰ろうと、プレッシャーやストレスなく、のびのびできた。行った以上は頑張りましたが」








