「支援」が「支配」になる瞬間

支援として良いことをしているつもりでも、社会的な包摂は排除を伴うと吉間氏は指摘する。現在ある再犯防止システムのもとで、理想的な就労、自立にたどりつける人と、たどりつけない人が選別されるからだ。枠組みや制度のもとで支援に携わってきた人なら、ある種の社会的排除につながる選別の場面に遭遇したことがあるはずだという。

「就労支援や福祉的支援だったり、そこで選別されるわけですね。就労支援の枠にはまって就労できる人は、また社会に包摂される。今ある福祉的支援の枠にはまって、そこでうまく生活できる人も」

「そこにはまらない人はどうなるかというと、自ら支援を拒否したとか、ダメな人(というレッテル)だったりとか、自分で生活を捨てるようなリスクを負った人と見なされて、自己責任化されるんですね。自己責任化というのは、簡単に言えば(再び)刑務所に行き着くということです」

更生できそう・できなそうな人をふるいにかける選別が入った瞬間に、【支援】は【支配】に近づいてしまう。吉間氏は、選別しないことが大事だと説き、支援を必要とする側の心理をこう紐解いた。

「一方的に、安全な立場からガンガン言ってくる人に言うことは聞きたくないですよね。相手は “正しいこと” を聞きたいんじゃなくて、信頼できる大人たちの話を聞きたい。そう考えると、支援する側が、相手から受け影響されることを受け入れる、支援者の方が変わることを受け入れることになるわけです。具体的には、当事者たちとの関係性を変えるために、向き合い方、話の聞き方、そういうものを変えるということです」

変える側と変えられる側、という非対称な関係が崩れて初めて、本当の意味での支援が始まる。どこでも通用する“正解”を守ろうとするより、その場その時に成り立つ「成解」を見出そうとするべきだ――。吉間氏が支援の経験から辿り着いた答えだ。【後編へ続く】

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