「責任ある社会の構成員として受け入れる」は、排除の裏返し
「頭が大混乱するわけです。誰が支援者で、誰が支援されてるかわからないから。でもそれはそれで一つの団体の活動として成り立っているし、それがみんな立場が変わりながら回ってるという、経験をしました」
「その経験を続けているうちに、それまで自分が思っていた、支援する側とされる側の区別自体が本来流動的なものでしかないんじゃないか、と思うようになりました。もうちょっと考え方を広げていくと、社会的な包摂をする側とされる側の区別を疑うようになり、支援で人を“変える”とか、“変わる”側、そもそもこの区分けもおかしいんじゃないかと思うようになりました」
講演で吉間氏は、政府の再犯防止推進計画の一節に触れた。
更生の意欲を有する、犯罪をした者らが、責任ある社会の構成員として受け入れられる社会を目指す、というくだりだ。一見、包摂を志向したこの表現を、吉間氏は深読みする。
「 “それ以外の者は受け入れない” ということを暗に意味しているのでは、と思えてしまうわけです」








