大田知事の肝入りで進められた「平和の礎」の建立。こだわったのは、戦後50年となる1995年の慰霊の日までに完成させることでした。

▼元沖縄県知事公室長・高山朝光さん(90)
「92年、93年、94年、95年でしょ。3年ちょっとでしょ。非常に短い期間での集中的なまとめをしなければならないところがね、職員を含めて全体でもものすごく取り組んだという経緯があります」

最大の課題は、戦没者名簿の収集です。

「学者の方から『これは全戸調査すべきだ』と。沖縄県の場合には、一家全滅という家庭が結構多いんですよ。家族全員が亡くなってしまって登録もされていない。全県調査の実施を全市町村の協力をもって進めてきたわけです」

まさに”島ぐるみ”で集められた名簿は、地元紙にも掲載され、県民の目で確かめる機会が設けられました。

申請者「調査漏れしていたから申告に来た。載せないと大変。俺の責任だからな」
申請者「親にできる最後の孝行」

▼高山朝光さん(90)
「知事の政策として打ち出してつくってきた経緯があるが、全県民の力で作り上げてきたんだという思いなんです」

迎えた除幕式。当時の村山総理をはじめ、およそ5000人が参列しました。戦没者の名前を確かめる遺族らの姿も―

訪れた戦没者遺族「お家にも遺骨も何もないでしょ。魂だけだから、きょうはもう泣きました。初めて」