沖縄戦から80年が経ちました。沖縄の80歳以上は、人口の7%です。日本全体でも90%が戦後生まれになり、近い将来、戦後世代しかいない沖縄がやってきます。【戦後80年 #あなたの623】は、胸の奥にしまい込んできた辛い記憶。家族のなかで避けてきた戦争の話題。今しか話せない大切なこと。今だから話せる戦争のことを聞いていく、シリーズ企画です。
今回お伝えするのは、一家6人で糸満への避難中に父と妹を亡くした當銘トヨさん(92)の戦争体験です。トヨさんへの取材は、曾祖母の体験を記録に残してほしいと、ひ孫の小橋川桜雅さんが番組に応募してくれたことがきっかけでした。

▼トヨさんのひ孫 小橋川桜雅さん(小4)「戦争の話とかしてたら、(自分が大人になったときに)もう1回聞き直せるなと思って」
糸満市の小橋川桜雅さん。一緒に暮らす曾祖母の當銘トヨさんの戦争体験を記録に残したいと、番組に応募してくれました。
沖縄戦当時、トヨさんは12歳。壮絶な体験のはじまりは、豊見城の自宅から米軍の艦隊が見えたときでした。

▼當銘トヨさん(92)「慶良間の前にアメリカの船がいっぱいずらっと並んで、照明弾が上がってパラパラしたから、お家にはいられないから早く夕飯も食べて逃げようって」
防衛隊にとられていた父は、家族を守るため、隊を抜け出していました。一家6人は、糸満方面への避難を選択します。
▼當銘トヨさん(92)「夜もずっと歩いてですね、死んでいる人の上からも歩いたんですよ、うちなんかは」
防空壕やガマはどこも避難する人であふれていました。名城の集落にたどり着いたところで、やむを得ず、ガジュマルの茂みに身を隠すことに。しかし、そこで悲劇が…。
▼當銘トヨさん(92)「お父さんがここら辺にこんな大きい甕がある、これの中にね、砂糖も入ってるか見てみようねって、少しこんなしてしゃがんで、手入れると同時に爆弾が落ちてからに、そのまま爆風で飛ばされて、サトウキビ畑の中に飛ばされてですね。妹はまた石垣が倒れてきてからに、首からみんなあれして、もう頭ぐちゃぐちゃなってですね、 頭の肉がうちの防空頭巾にくっついて、めくっていたんですよね」
すさまじい爆風が一瞬にして二人の命を奪い去りました。近くにいたにも関わらず無傷だったトヨさんは、ポケットの中身に助けられたと感じています。
