没後120年となる瀧廉太郎の初公開の資料や楽譜を展示した企画展が大分県竹田市の歴史文化館で開かれています。

「荒城の月」の作曲家として知られる瀧廉太郎は少年時代を竹田市で過ごし、1903年23歳で亡くなりました。没後120年を記念した企画展では廉太郎と廉太郎を応援し続けた従兄の瀧大吉のルーツである瀧家に関する資料や写真、楽譜など61点が展示されています。

このうち、亡くなった明治36年に大分市の大分高等小学校(前身:金池小学校)で子どもたちに演奏を披露したことが記されている日誌が初めて公開されました。

(竹田市歴史文化館・櫟浦幸徳さん)「廉太郎の直筆の楽譜などもありますので、そこから廉太郎がどういった性格なのかというところをこの機会に見ていただければ」

この企画展は竹田市歴史文化館 由学館で7月23日まで開かれています。