大分県立竹田高校で部活動中に熱中症になり、亡くなった工藤剣太さん。生きていれば今年30歳になっているはずでした。

■救命士夢見た17歳の死

2009年8月22日、大会を間近に控えたこの日、剣道部の主将を務めていた工藤剣太さん(当時17)は、竹刀を振り続ける打ち込み稽古の最中に熱中症になり倒れ込みました。剣道場の気温は36度に達していたという。当時の顧問は「熱中症の症状じゃない。演技だろうが」と言いながら、意識がもうろうとする剣太さんに平手打ちを繰り返しました。その後、剣太さんは病院に救急搬送されますが、そのまま帰らぬ人となりました。


父・英士さん:「今何時?」
母・奈美さん:「12時27分もう搬送されるくらい」
父・英士さん:「27分だから救急車が来たころ。来てなにかしているころやな。救命士になりたかったと言っていたからそういう仕事に就いていたんだろう。たまに帰ってきて話したり酒飲んだりしていただろうな。子どももできていたかな、いろいろなことは想像するけどな」


竹田高校では悲劇を繰り返さないために剣太さんの命日である8月22日を「健康・安全の日」と定めています。この日、合澤哲郎校長は校内放送で「命の危険な状況に気づく、感じるということはできると思います。二度と竹高生が熱中症で命を失うことがないようにどうかみなさん行動する、行動できることを常に心に留めてください」と全校生徒に伝えました。


22日に行われた始業式の終了後、熱中症を想定した緊急対応訓練が実施されました。剣太さんの両親も招かれるなか、部活動ごとに応急処置や緊急連絡の手順を確認。学校全体で生徒の命を守っていく意識を再確認しました。

母・奈美さん:
「一人危険な子が出たら『あのときにやったあれだ』と言って、みんなが動けたら絶対に命を守れると思う」

母・奈美さん