50年ごとに供養碑を建立 「外所地震」を語り継ぐ寺

宮崎市熊野にある西教寺。
この寺では、歴代の住職らによって、この震災が語り継がれています。

(西教寺 井上真哲住職)
「こちらが西教寺に伝わる系図になります」

現在14代目の井上住職。3代目まで系図をさかのぼると・・・

(西教寺 井上真哲住職)
「『大地震にて外所入海となる 今江の郷に移るなり』と書いてあります。地震とともに、おそらく液状化現象で沈んだのではなかろうかと言われてるのですが、今の運動公園辺りぐらいまで全部入り江になったというふうに古い地図などにも書いてあるので、もうちょっと離れたところということで、そちらの土地(今江)を殿様が準備してくださったんだろうと思います」

(記者)
「どんなふうに村が沈んでいったというふうに聞いていますか?」
(西教寺 井上真哲住職)
「ドスンと沈んだのではなく、時間をかけてゆっくりズブズブズブズブと沈んでいったらしく、ですので、結構、逃げ出す時間はあったというふうに聞いています」

「外所地震」の最大震度は6強以上と推定され、飫肥藩の家老が書いた「日向纂記」には、およそ250戸が海に沈んだと記されています。

その被害の大きさから、宮崎市熊野には、50年ごとに供養碑が建立されています。

(西教寺・井上真哲住職)
「未曾有の大被害を出したその地震を後世に伝えるべく、石碑を建てている。当たり前の生活が、いつ、当たり前でなくなってしまうかわからないということはありますので、そのことは十分に普段から心がけながら生活をしていく。そして、準備を怠らないということでしょうか」