「来るのも怖かった」12時間以上かけて店に戻るも…

地震が起きた元日、奥田さんは輪島市から120キロ以上離れた白山市にいました。「もう戻れないかも知れない」と思いながらも、車に支援物資を積み込んで目指した輪島市は、普段なら車で3時間ほどの道のり。しかし、地震によりできた道路の段差や土砂崩れなどに阻まれ、カフェに戻るまでに半日を費やしました。

輪島市南志見地区(3月撮影)

カフェの周囲には屋根から落ちた瓦が散乱し、外壁も剥がれ落ちていました。見渡すとほとんどの建物が同じような状況で、奥田さんが所有していたゲストハウスや事務所などは5棟全てが傾いていました。

「周りでは、みんなが弱音を吐いているんです。でも一日も心は折れなかったですね。片づけをしながら、一日も早くなんとかしてやると。絶対におれが復興させなあかんと」

震災時の状況を話す奥田さん(3月撮影)

母は富山県出身ですが父が輪島市出身とあって「半分は能登の血が流れているから」と、過疎化が進む能登を元気にしようと6年前に起業しました。震災後は、手掛けていたレトルト食品を避難所に配って回りました。

「避難所は小学校と公民館2か所に分かれていた。食べ物が全然入ってきていないのが分かっていたし、とりあえず、俺がおらん時でも倉庫を開けて『ある物をみんな持って行かんか』って。俺もいっぱい積んだ物資を配るのはずっとやっていた」