この掛け軸は、江戸時代の有名な絵師 円山応挙が描いた幽霊の掛け軸だといわれたものです。

来迎寺 加波祐生さん

「一説には円山応挙が足のない幽霊の姿を描いた、そのことで我々は幽霊といえば足がないというふうになったと…」

こちらの幽霊画は、昭和になって骨董商から持ち込まれたもの。
骨董商が絵を手にしてから、商売が上手くいかなくなり、来迎寺に供養を頼んだと伝えられています。

来迎寺 加波祐生さん
「ひとつ言い伝えがございまして、若いお母さんが赤ちゃんをこの世に残したまま何らかの原因で亡くなってしまった。心配で心配で、いわゆる死んでも死にきれない。心配を持って幽霊に姿を変えて子どもを見に来ているそんな姿を描いたものだとして伝えられています」

この2つの幽霊画には共通する描写が。それは胸元に手を入れている姿です。

「幽霊画」にこめられた愛情エピソードとは

「お腹すいてないかなとかおっぱい飲ませてあげたかったなとか、そういうようなお姿なのかなと思っております」

松村キャスター
「今のご住職の説明を聞いたら、また見え方が変わったんじゃないですか?」
加藤さん
「そうですねいいお母さんだなって思います」
母親の愛を感じる幽霊でした

金沢で有名な「飴買い幽霊」の言い伝えとは

続いては、金沢の坂にまつわる幽霊です。
今は少ない飴屋(あめや)ですが、昔はあちこちにあったそうです。金沢市森山には「あめや坂」と名の付いた坂も残っています。
坂道に詳しい、いちがみトモロヲさんに案内してもらいました。