ビアズリーは1872年、イギリス南部の海辺の町に生まれた。幼いころから肺結核を患っていた。挿絵を描き始めたのは10歳の頃だが、父親が財産を使い果たして暮らしは貧しく、小遣い稼ぎのためだった。

16歳でロンドンに移った彼は、昼間は働きながら、夜にロウソクの明かりで絵を描き続けた。そんな彼の20歳の時の作品「アーサー王の死」の挿絵は、独学で絵を描き続けていたビアズリーの出世作だ。

注目するべきは、彼の「美しい線」。作品の多くは、美しく描かれた線によって、かえって“怪しい雰囲気”を醸し出している。

▼高知県立美術館 栁澤宏美 学芸員
「すごく線が細かく、見れば見るほど、いろんな要素が見えてくる作品。『美しい線』がビアズリーの特徴で、それが初期のこの作品で出ているというのが、彼が最初から『天才だった』と言える」

そうして頭角を顕したビアズリーの作品は、先進的な芸術作品を取り上げる雑誌「STUDIO」に掲載された。創刊号では彼の特集も組まれた。

▼高知県立美術館 栁澤宏美 学芸員
「ほぼ、仕事を始めたばかりの作家で特集が組まれるのは、すごいこと」

この雑誌への掲載を機に、戯曲「サロメ」の作者、オスカー・ワイルドが、英訳版「サロメ」の挿絵をビアズリーに依頼した。