大勢の人に愛された“ミスタープロ野球”長嶋茂雄さんが、3日朝、亡くなりました。現役時代、巨人で長嶋さんと一緒にプレーして“特別にかわいがられた”という高知県出身の濵村孝さんが、数々の思い出を語ってくれました。
濵村孝(はまむら・たかし)さんは、1947年4月26日生まれ、高知県土佐市宇佐町の出身です。高知商業高校から1965年のドラフト1位で西鉄ライオンズに入団し、1966年~70年は西鉄でプレー。その後トレードで巨人に移籍し、1971年~72年の巨人在籍時に、11歳近く年上の長嶋さんと一緒にプレーしていました(選手時代の登録名は浜村健史)。

現在は故郷・土佐市宇佐町で「浜村海産」を営む濵村さん。長嶋さんが亡くなったことを受け取材に応じると、「まさか…」という言葉を繰り返しました。
◆濵村孝さん
「長嶋さん…まさかね…。高齢やからね、病気してたから心配はしとったんですけど、まさかね…。もっと長生きしてもらいたかったなと。僕らは、長嶋さんがテレビに出ているのを見るのが、いまだに好きやった」
濵村さんは1971年に、福岡に本拠地を置く西鉄ライオンズから、巨人に移籍しました。そんな濵村さんを、長嶋さんは“特別に”かわいがり、接してくれたといいます。
◆濵村孝さん
「現役時代、田舎の福岡の球団からトレードで巨人に行って、2軍ぐらいの選手やったのに、長嶋さんはかわいがってくれましてね。長嶋さんがウォーミングアップする時は私がパートナーでランニングに付き合ったり、ノックを受ける時はいつも長嶋さんが僕と一緒に受けてくれて、いろいろアドバイスしてくれて…。本当に、いつも『一緒にランニングしよう』って、どういうわけか知らんけど誘ってくれましたね」
◆濵村孝さん
「それは、嬉しいですよ。長嶋さんと一緒に練習できるなんて、夢にも思ってないじゃないですか。長嶋さんは“スーパースター”ですけど、僕らは“1軍半”ぐらいでジャイアンツへ行った選手ですからね。よく励ましてくれましたよ。『ジャイアンツはいいチームだろう?』『頑張ってやれよ!』とか、よく声をかけてくれましたね」
現役時代から長嶋さんは思いもよらない言動が注目され、それが“天然”とされて大勢の人に愛されてきました。しかし、グラウンドで一緒にプレーした濵村さんは、野球に対して“ひたむき”に取り組む長嶋さんの姿が、脳裏に焼き付いているといいます。