1917年、高知市菜園場町に生まれた北村久寿雄さん。小さい頃から、近くを流れる高知市の「鏡川」で、学生に交じり、泳ぎの練習をしていたという。

旧制高知商業学校に進学し、水泳選手に。全国大会でライバルに惨敗したことをきっかけに、鏡川にかかる「潮江橋」と「雑喉場(ざこば)橋」間の約五百メートルを泳いで何度も往復するという特訓を続けたという。


増水した急流に逆らって泳ぐという特訓が実り、1932(昭和7)年のロサンゼルスオリンピックの出場権を獲得し、競泳1500m自由形に出場。北村さんは当時のオリンピック記録を40秒近く更新するという大記録(19分12秒4)で、金メダルを獲得した。


北村さんはこの時、14歳と10ヶ月。この日本競泳界の金メダル最年少記録は1992(平成4)年、バルセロナオリンピックの「これまで生きてきて一番嬉しい」で有名になった岩崎恭子選手まで抜かれる事はなかった。
■当時を振り返る北村さん
「とにかく夢中で、一番最初に思ったのは高知の兄弟や友人が喜んでくれるだろうな、ということ」

金メダルを獲得した北村さんは、京都大学を経て、東京大学法学部へ進学。旧労働省に入省後、国際労働機関(ILO)日本政府代表部一等書記官など、要職を歴任。また、日本マスターズ水泳協会初代会長にも就任し、水泳の普及に尽力した。1996年、78歳でこの世を去った。