※村上石藏さん
「1949年春は12万円もらった。お膳にのせて、親父にあげた。いままでの古い家を壊して、新しく建てた。あっちもこっちも。それは、捕鯨へ出稼ぎに行った人が建てた」
山間にあるのに「クジラの村」と呼ばれた村
村上さんの暮らす旧南郷村は、かつて、山あいにありながらも「クジラの村」と呼ばれていました。戦後間もなくは農林業が中心で冬場の仕事が乏しかったため、当時の村長が出稼ぎで捕鯨船に乗ることを奨励したためです。

※村上石藏さん
「半年間のお別れだから。テープが切れる10~20メートルはゆっくり走ってくれと、運転手に頼んだ」

最盛期の1950年代には捕鯨を始めとした遠洋漁業に携わった人は南郷だけで年間200人以上、三八地域では700人以上にのぼったといいます。長く厳しい航海、船員たちの一番の楽しみは赤道を通るさいに行われる「赤道祭(せきどうさい)」でした。仮装大会を始め様々な催しがあり、村上さんは相撲で会場を盛り上げたといいます。

※村上石藏さん
「小さい身体で、大きい身体を投げ飛ばしたら、船長たちも手を叩いて喜ぶ。勝敗をこっちは打ち合わせしている、前の日にね」
この和やかな時間も、南極海へ到着してクジラを獲り始めると一変します。村上さんは、解体した肉を冷凍庫に積む作業などを担当し8時間ずつ2交代制で働く日々を3か月間続けました。


※村上石藏さん
「零下30℃。まぶたがくっつく。そういうところで、1日も休まない。風邪をひいても頑張った」