※西谷豊さん
「親父の魂がそこにいる。なんか捨てがたいし、いつか、もしやれれば。この麺機じゃないとあの焼きそばは作れない」


仕込みの日は、大十食堂に再び、明かりが灯ります。焼きそばの麺のほか、食堂で提供していた麺類は、こうしてすべて店で手作りしていました。


“ちぢれ”と“コシ”は麺を手で揉みながら作っていきます。一晩寝かせて水分が程よく抜けることで茹でても切れにくく弾力のある麺になるといいます。さらに仕込みで欠かせないのが…


※西谷豊さん
「焼きそばにはこの“だし”が必要。」



焼いた煮干しと削り節、昆布などでとった「だし」。食堂では、ラーメンにも使われていました。営業日は、開店の1時間前に食材や自前の道具を全て運び込むところから始まります。豚肉とタマネギに火が通ったらソースと自家製麺を加え、隠し味としてあの「だし」を合わせます。

※西谷豊さん
「まろやかさと風味、それと固さも調整できる。」「まさか本当に(復活)できると思いませんでした。ありがとうございます。」

食堂の閉店から10か月。看板メニュー「焼きそば」が復活しました。

※小野寺紀帆キャスター
「麺はもちもちと食感が良い。濃厚なソースの中に魚介だしのやさしさが感じられてなかなか家庭では出せない味わいですね」

焼きそばは、1日100食限定。早い日は1時間半で売り切れるほどの盛況ぶりです。

※来店客は
「子どものころからずっと大十の焼きそばで育ったようなものなので、もう二度と食べられないなと思っていたんですけど、とても幸せです」


「焼きそば、おいしいです」「きょうは千葉から(前に食べたのはいつですか?)10年くらい前かも」

大十食堂の焼きそばの販売が始まってから「さるか荘」を訪れる人は2倍以上に伸び、地域のにぎわいづくりにも一役買っています。

※西谷豊さん
「目つぶっても焼きそば作れる、そういう感覚がすごくうれしくてほっとしているよりも、わくわくしている。親父、おふくろの作った焼きそば、皆さんがこよなく愛してくれる焼きそばでありたいと頑張らせて頂きたい。」


復活を待ち望んだ地元の人たちへの感謝を胸に、西谷さんは、伝統の味を作り続けます。大十食堂の店主たっだ西谷さんは現在、「さるか荘」の中にある「御食事処もてなし」の職員として焼きそばを担当していて、「雇ってもらえる限り80歳まではフライパンを振り続けたい」と話していたそうです。

「さるか荘」では「豊の焼きそば」という名前で販売されていて、毎週水曜日が定休日となります。