当時は好景気に沸いた時代、町は大規模なリゾート開発に乗り出すことを決め、1987年に大手の開発業者などと協定を結びました。

※油川和世 町長(1987年当時)
「民間のノウハウを十分に活用して、それぞれの持ち味をいかしてリゾート地域の整備をする」

開発の中核を担ったのは「スパガーデン湯~とぴあ」

ウォータージェットコースターや温水プールをそなえた温泉施設です。スキー場には、ナイターを始め様々な設備が整備されたほか、花火大会も開かれ観光客が集いました。


しかし、この開発はバブル景気の崩壊とともにとん挫します。計画を進めていた第三セクターなどは経営破綻。大鰐町は巨額の債務を肩代わりすることになり一時、財政健全化団体にもなりました。返済する三セク債などは約70億円ありましたが、徹底した歳出の削減により2021年度末で30億円あまりにまで減らしています。ただ、返済に伴う事業見直しはスキー場にまで及び、2つある営業エリアのうち1つが2010年度から営業休止となっています。

それでも、残る営業エリアでは今シーズンも多くの大会が開かれたほか、町も毎週土曜日はリフト1日券を500円に割り引きするなどして誘客に力を入れています。

※ヒュッテ銀嶺 五十嵐満さん
「これから少子化になれば、スキー場の客も減ってくると思う。いま成長している子供たちを大事にして、スキーに愛着を持ってもらいたい」

大正からの歴史が息づくゲレンデは、幾多の時代を乗り越えスキーの町・大鰐の礎として愛され続けています。

※サムネイルの「一本杖のスキーヤー」(推定 大正年代)の写真は弘前市立弘前図書館提供