当時の政府が空襲への対応策をまとめた「国民防空図譜」

当時の政府が空襲への対応策をまとめた「国民防空図譜」です。空襲では爆風などでけがをしないように地下に作った待避施設へ一時的に身を隠すとしています。そして、近くの家に焼夷弾が落ちた時には、すぐに消火作業にあたることになっていました。

こうした防空活動には、高齢者や子供以外は参加するよう求められていて、バケツリレーで火を消す訓練が全国で行われました。その対策の限界が露呈したのが約10万人が犠牲になった1945年3月の「東京空襲」です。

この時から始まったのが、夜間に住宅密集地へ焼夷弾を投下して焼き尽くす「無差別爆撃」でした…。