県大会優勝!城西大学で「箱根駅伝」出場!最も過酷な区間“5区”に挑戦

黒川 遼 さん
「小さい大会に出たんですけど、初めて優勝してしまって、そこから『なんか楽しい』みたいな気持ちが芽生えた」

何よりも家族がとても喜んでくれたことがうれしくて、より一層、陸上にのめり込んだ。中学生になると、意識が全国へと向かい、高校はスポーツ強豪校の青森山田へ。

黒川 遼 さん
「中学校のときにや県でトップとなり、全国大会へ出たということもあり、青森山田の陸上部から声をかけてもらった。当時の青森山田の監督も結構強かったし、先輩も厳しかったので、休まるタイミングっていうのがなかなかなかった」

青森市内での慣れない寮生活や、弱音を吐けない環境で、支えてくれたのは家族だった。
黒川 遼 さん
「練習量も増えたり、けがもしてしまって、なかなか言い出せる環境じゃなかったっていうのもあるので、足が痛いとか。両親に電話して、気持ちがあふれてしまった時もあったんですけど、そのときにも支えてくれたところがやっぱり大きかった」

全国高校駅伝大会にも出場した経験から、陸上部の監督に紹介され、埼玉の城西大学へ進学。

そこで、「箱根駅伝」を経験した。

黒川 遼 さん
1回目が5区の3年生のときです。いざ箱根駅伝の当日、直線の(箱根の)山の向こう側を見てしまったときに、果てしなくて…

トラウマになるほどの厳しい結果に終わり、4年生でも箱根駅伝に出場をしたが、区切りをつけて陸上をやめる決意をし、社会人に。