「何が何でも帰りたかった」でも長男も次男もいる…関東で生きる決意

一戸郁哉さん
「めちゃくちゃ帰りかったんですよ、僕は。何が何でも帰りたかったんですよ。最終的には、兄弟は男が4人だったので、父親に『青森には長男と次男がいるし、お前もそっち(関東で)で頑張ってみれば』と言われたから、“わかりましたって言わざるを得なかった

厳格な父の言うとおり、千葉で就職した。それは、高校で畜産科だった経験が生かされた食肉業界。

一戸郁哉さん
「豚とか牛とかに抵抗感はなかった。学校の授業の実習でやっていたし、怖さもないし」

当時の会社で仕事を教えてくれたのは、偶然にも今働いている小島商店の会長だった。

一戸郁哉さん
「会長は、昔からそうだったんですけど、すごく人柄が良くて、変に駆け引きしない人だったんですよ。相当やっぱり知識も持っているし、やっぱり経験も積んでいるから、そういう即決ができるのかなって感じた」

結婚して、家族も増えた。仕事は忙しかったが、充実した生活を送っていた。そんな中、立て続けに両親との別れがあり、自身には病気が見つかる。