取材最終日。再び珠洲市に戻った私たちが向かったのは、ホームセンターです。翌日に警報級の大雪が懸念されていたため、開店前から灯油のポリタンクなどを目当てに列ができていました。避難所をまわると、「自衛隊が毎日燃料や物資を運んでくれているから雪への不安はない」との声があった一方で、「もう3週間も肉を食べてない。お前、次来るときは肉を持ってきてくれ」と冗談交じりで会話をしてくれた男性の言葉が私の胸に刺さりました。

海岸線近くの道端で出会ったのは72歳の男性です。自宅と店を兼ねた建物は傾いていて、建物の倒壊危険度を示す張り紙は、立ち入り危険を示す「赤」判定。周りの住人は全員避難していますが、避難所には行かないといいます。

「俺は夜に長い時間寝てられなくてな。避難所に行って夜中に動いたりしたらみんなに迷惑かけちゃう。スタッフも大変なのに、俺が行くことでさらに厳しい環境にしてしまう。みんなの顔がわかる古き良きマチだからこそ、わがままは言っていられない」

この家はあす、大雪の重みに耐えられるだろうか。私はそれを見届けることなく、男性に「危険を感じたらすぐに避難してくださいね」と声をかけ、珠洲市を離れました。
今後、能登半島はどのように復興を遂げていくのか、想像もつかないほどの被害を受けている状況ですが、珠洲市で取材したある女性の言葉がずっと忘れられないでいます。
「ここで泣いて「どうにもならない」って言っていられない。年を取れば取るほど、私たちは国に頼るしかないんです。ここで生き延びていこうと思います」

「縁があったら珠洲を思い出してまた見に来て。1年後でも2年後でも、このマチがどう復興していくのか見てあげてほしい」
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