取材して出会う“たくましい姿” 町を離れた人のためにも能登を撮り続ける

私の仕事始めとなるはずだった、ぶりの水揚げの撮影。予定よりも7日遅れだった漁は大量でした。
漁師
「網は傷んでなかったので良かった。何とか魚とらしてもらって、これから頑張っていくしかないと思います」
“日常を取り戻したい。何かしなくちゃ”取材を重ねる日々の中で、そんな思いにとらわれます。

能登町では、家族と避難しながら黙々と受験勉強する高校生に出会いました。
奥能登では11の酒蔵すべてが被災。石川・白山市の酒蔵が手を差し伸べていました。

被災した数馬酒造 数馬嘉一郎さん
「めちゃくちゃありがたいという気持ちと、忙しい時期なのに申し訳ないという気持ちがあります。1日でも早く皆さんにご支援いただいたもろみをお酒にしてお届けできればなと思っています」
被災しながらもたくましい姿に力をもらいました。
電気・水道が止まっていた穴水町の自宅に3週間ぶりに戻ると、電気が通っていました。

保蔵カメラマン
「最初はもう全部倒れてたんで、奥さんとか友達とかと一緒に、何とかこれでも少し綺麗になった方です。いま僕は実家に避難しています」
妻は児童養護施設で働きながら寝泊まりし、3人の娘のうち、一緒に住んでいた中学1年生の三女は金沢の大学に通う次女のもとへ避難。家族全員バラバラに暮らしています。

能登の祭りといえば、七尾市の青柏祭。そして、夏の能登キリコ祭り。
保蔵カメラマン
「大丈夫ですね。折れたりはしていないですね」
地元の祭りで担ぐ桐子。幸い、目立った損傷もなく、無事でした。
青年団の道貫大志 団長。奥さんと子どもたちは金沢に避難しています。

桜誠会 道貫大志 団長
「去年やっと1回、久しぶりにできたと思ったら、また今年こんな感じなんで、モノがあっても人間がいないことにはどうにもならないから、その時になってみないと何とも言えない」
街を離れて戻ってこないという人もいます。それでも、私はカメラマンとして能登を見つめ続けたいと思っています。

保蔵カメラマン
「(町を離れる)選択は間違いじゃないと思っています。寂しいですけどね。でもみんな好きで能登を離れるわけじゃないから、まだまだひどい風景だと思うけど、復興していく姿とか、綺麗な能登の姿を、そういう人のために見せてあげたいなと思います」
「復興に向けて進む姿大好きな能登から伝え続けていきたい」
小川彩佳キャスター:
保蔵カメラマンはこんなことも語ってくださいました。

「風景は変わってしまったが、助け合いながら暮らす能登の人の優しさは変わらない。復興に向けて進む姿を、大好きな能登から伝え続けていきたい」
株式会社QuizKnock CEO 伊沢拓司 氏:
だいぶ前に珠洲の塩田を見に行ったことがあって、そこもだいぶご高齢の方が働かれていたはずなんですけれども、日本海がすごく綺麗だったんです。そういった魅力が多分能登にはたくさんあって、それが映像という形で残されている。そして、これを折に触れてみるということがもう一度、こういった世界にということで皆さんを勇気づけると思うので、こういった撮影の活動というのはすごく価値のあることだなと思いますね。
藤森祥平キャスター:
保蔵カメラマンの捉える映像をこれからもしっかりとメッセージとともにお伝えしていきたいと思います。

















