JNN北陸放送・能登支局の保蔵カメラマン。地震で今まで撮り続けてきた能登の日常は一変しました。自身も自宅のある穴水町で被災する中、取材し続けた1か月の記録をまとめました。

被災してもふるさとを撮り続ける 能登支局カメラマンが見た1か月

元日の地震。これまでに経験したことのない大きな揺れでした。

家族の無事を確認した後、自宅のある穴水町から私が向かったのは、輪島市。到着したのは深夜2時過ぎでした。

北陸放送(MRO)能登支局 保蔵篤史カメラマン
「土砂崩れで行けなかったので、早く伝えなきゃって思ってました。無我夢中ですね。言葉は悪いかもしれないけど、空襲の後みたいな感じでした」

火災を撮影してから4週間ぶりの27日、朝市を訪れました。あれから、時が止まったままです。

保蔵カメラマン
「家具屋があって、そこにタマっていう名物猫がいたんですよ。コロナのときで、少しでもお客さんが来てくれればと思って撮ったんですけど、結構評判良くて。正直無事なのかなって」

賑わっているときも、閑散としたときも、撮影に訪れた朝市。お世話になった人たちの安否を未だ確認できずにいます。

保蔵カメラマン
「電話番号を知っていても、なかなかかけにくいというか、怖くてかけられないところはありますね」

私がこれまで撮ってきた能登の美しい景色、人の営みや春夏秋冬の風物詩。当たり前だと思っていた日常が一変しました。

この地震で私は大切な人を1人、失いました。
県外から輪島に帰省していた私のいとこの息子、小学5年生の男の子です。家屋の倒壊に巻き込まれて、元日に息を引き取りました。

保蔵カメラマン
「小さい頃から僕の家にも来てくれて…こたつで眠っているみたいな感じで亡くなっていました」

「5日目ぐらいに僕の実家に行ったんですけど、年賀状が届いてて…『6年生になります』って…親戚でこんなに悲しいので、ご家族を亡くされた方は、本当につらいだろうなって。取材を続けていて、頑張っているとか、すごく素敵な話もいっぱいあるんですけれども、忘れられたらいかんなと思って。まだまだ大変な人がいっぱいいるんです」