“政策”ではなく“政治”活動費になっていませんか?
小川彩佳キャスター:
この政策活動費を巡って、29日の国会では、野党側が廃止を求めました。
これに対しての岸田総理は、「“政治活動の自由”と、“国民の知る権利のバランス”の中で、あるべき結論を出さなければならない」と話していましたが、ちょっと何をおっしゃっているか、わからなかった。これってどういうことですか?

宮本 記者:
これは“永田町用語”だと思います。すごく平たく言うと、綺麗事だけでは世の中は回らないよね、ということ。政治の世界は、根回しであったり、何かを懐柔するためであったりに、お金がかかりますよね、と。
ただ、国民の代表として選ばれている政治家は、どういう活動をしているのか、国民に明らかにしないといけないわけで、その手の内を、どこまで明かすかという問題だ、と岸田総理は言っているわけです。
小説家 青山仁 氏:
日本語として矛盾している。政治活動は、政党内であれば自由にやればいいと思うが、寄付でそれをやっているわけで、寄付した人は、どうやって使われているかを知りたいじゃないですか。知りたいのに、教えないというのでは、バランスが取れていない。この言葉は、自分たちがしていないことを、さもしているかのように言っているという意味では、嘘をついてると言われてもしょうがない。

もうひとつ引っかかるのが、政策活動費という言葉。その使われ方を見ると、どこに“政策”があるのか。“政治”活動費ですよね。私は、政治の話でよく言うんですが、子どもに説明できますか?と。政策活動費として、みんなから寄付を集めて、一生懸命政治をやっていると言うが、僕のお金をどう使っているの、って聞かれて説明できますか?
例えば、震災で寄付をしたとき、集まった寄付で、役所の人が宴会をしていたら、みなさん怒りますよね。それと変わらない、もしくはもっとひどいことしてるかもしれない。政治とお金の話は、もういい加減にしてほしい。
当面、1円まで全てクリアにしましょう、となぜ言えないのか。よくわからない日本語を言うより、「わかりました、政策活動費を全部お見せします」と言えば、下がり続けている支持率も、少しは上がる気がするんですけどね。
政治は綺麗事だけではできない、というのはその通りなんですが、ただ、それも含めて、政党としての責任がある。
しかも、結果が全然出ていない。これだけお金を使って、綺麗事も、そうでないことも含めて、期待されたことはできましたよって言えるならいいが、綺麗事も、そうでないことも、両方やって、結局うまくいかずに、お金が蒸発しているような状態で、何が“政策”だという気がします。
藤森キャスター:
選挙のための買収に使われている可能性だって否定できない…
宮本 記者:
派閥のキックバックの問題も含めて、そもそもなぜ、政治にこんなにもお金がかかるのか。本当に必要なのであれば、そこは正面から議論すればいい。選挙制度も含めて、一度見直さなければいけない。
