■祖父は元総理、父は元外務大臣 安倍元総理の政治の“原体験”とは
祖父は岸信介・元総理、父は安倍晋太郎・元外務大臣というまさに政治一家に生まれた、安倍晋三元総理。特に祖父・岸元総理の影響を色濃く受けていた。
1960年、日米安保条約の改定に乗り出した岸内閣。当時5歳だった安倍元総理は、そのころ祖父の家によく通っていた。ジャーナリストの野上忠興氏によると、安倍元総理はこのときの様子を自らの政治の“原体験”としてよく語っていた。
安倍氏を長年取材 ジャーナリスト 野上忠興氏
「60年安保のときに岸邸にも安保反対のデモが押しかけてきて。居合わせた安倍さんは5歳ぐらい。『安保反対、安保反対』と(デモ隊が)外で叫んでいて。たまたまおじいちゃんがいて、(安倍氏が)『安保反対って何?安保って何』と聞いて、そこら辺から(安保に)目覚めていったのではないか」
また、学生時代の友人らが安保や祖父について話していた際には・・・
ジャーナリスト 野上氏
「クラスで休憩時間に友達が、『安保条約というのはなんかひどいものだ』とか、それを離れたところで聞いていて、耳に挟むわけですよね。その輪に入っていって、『おじいちゃんの悪口は許さない』と。『おじいちゃんが言っていることが正しいのだ』と、『おじいちゃんがやっていることはどこが間違っているのだ』と」
高校の授業では安保条約に否定的な教師に対し、こう反論したという。

安倍晋三元総理(2006年)
「祖父や父から聞いていたので安保について肯定的な意見を何回か述べたことがあります。そうすると先生をはじめ、みなさん黙っちゃった」
亡くなった父の地盤を引き継ぎ、1993年に初当選した際には・・・
安倍元総理(2006年)
「祖父の岸信介からは『正しいと思ったことは動じずに進めていく』と。覚悟と動じない気持ちが、政治家には必要なんだろうなと。もちろん、独りよがりになってはいけないのであって、そのために自ら省みる」
その後、49歳という若さで自民党幹事長に。その2年後には、内閣官房長官に就任。2006年には戦後最年少で内閣総理大臣に就任した。そして2015年、安全保障関連法を成立させた直後には・・・

安倍元総理(2015年)
「親父と祖父の墓前に、国民の命と平和な暮らしを守るための法的基盤が整備されたこと(を報告)。強い経済をつくっていくことに全力をあげていくということを誓いました」
だが、その祖父は安保問題をめぐって内閣総辞職する前日、元右翼団体の男に左太ももを刺され重傷を負った過去がある。
ジャーナリスト 野上氏
「“安倍銃撃される”という速報を見た瞬間にすぐ、おじいちゃんが暴漢に刺されたというのを思い出して、因縁めいているなと思いました。(安倍元総理は)不幸にも亡くなってしまった。最悪の事態だった」
■「憲法改正」「アベノミクス」「日米関係強化」 安倍元総理、最長政権の中で目指したものを見る
安倍元総理は2006年、戦後生まれとして初の総理に就任し、第1次安倍政権が発足した。所信表明では、憲法改正へ並々ならぬ意欲を示した。
安倍元総理
「(現行の憲法は)60年近く経ちました。新しい時代にふさわしい憲法のあり方について議論が積極的に行われています。まずは、日本国憲法の改正手続きに関する法律案の、早期成立を期待します」
だが2007年の参院選で自民党が大敗した後、健康問題を理由に辞任した。その5年後。
安倍元総理(2012年)
「『全身を投げうって立ち向かえ』との同士の声に応えていく」

自民党総裁に復帰し、衆院選で民主党から政権を奪回。2度目の総理の座に就いた。第2次安倍政権は、ここから7年8か月続くことになる。
安倍元総理は、大胆な金融緩和を軸とする、いわゆる「アベノミクス」と呼ばれる経済政策を推進した。また、外交で重視したのが日米同盟の強化だった。アメリカのオバマ元大統領やトランプ前大統領と緊密な連携を築き、日本の存在感を示した。