亜大時代 同郷・岡山の先輩に頓宮選手(オリ)後輩に草加投手(中日1位)

ーちなみに草加投手(中日ドラフト1位指名・岡山県和気町出身)も同じ亜細亜大学出身ですよね、どんな選手だった?
「入ってきたときから細かったんで『大丈夫かな』と思ったんですけど、あの体で本当にポテンシャル高いので、あの体を生かして今のピッチングがあると思うので、すごい4年間でいろいろレベルアップしたんだなって思います」
ー草加投手が学生時代はここまで成長するとは思ってはいなかった?
「そうですね、自分が4年生の頃は、彼はずっとバッティングピッチャーをしていたので、元々素質あるのに、ずっとバッティングピッチャーってもったいないなと思っていたんですけど」
「そのバッティングピッチャーのおかげで、いろいろ掴んだらしくて、ここまでドラフト1位で選ばれているので、本当に持っているものもそうですし、すごいなっていうふうには思いましたね」

ー中日では同じチームメイト...改めてどういうふうに感じてますか?
「そうですね、自分は中継ぎでたぶん彼は先発なんで、やっぱり力を合わせて2人で勝利に貢献できたなって思います」
ーまた同じ亜細亜大学出身で、先輩には頓宮選手(岡山県備前市出身)も。
「頓宮さんはしっかりチームをまとめてくださる方で、練習中はとても厳しいんですけど、普段話すときはとても優しい方で、いい方でした」
ー頓宮選手と対戦することがあったら?
「もう本当素晴らしい方なので、デッドボール当てないように、自分のまっすぐで勝負したいです」

大学・社会人時代は「怪我との闘い」
ーその大学生のときに怪我をされた
「腰ですね。2年生ですね、ヘルニアの手術をして、そこで手術をするかしないか悩んだんですけど、して正解でした」
ーまた社会人でも怪我をしてしまった
「肘ですね。ある程度出力が出だして、マウンドも硬くなるんで、やっぱり負担が一気に変わるんで、そこで骨が欠けちゃって、それのクリーニング手術って言って」
ーそれを乗り越えてきた、その経験はどんなプラス?
「やっぱり今まで自分のストレッチとか、ケア不足だなっていうのは感じたので、そこからは本当に練習が終わったらすぐケアする時間を設けて、体に気遣うようになりました」

社会人時代に目覚めた「ポジティブ精神」
ーそして加藤投手ご自身は社会人生活をされていた...磨かれたものは?
「(営業の仕事をしていて)諦めることも大事だなっていう、たまには諦めないとやっていけないんで、頑張るところは頑張って、いい感じに諦めて、刺激してうまくやっていかないといけないなっていう」
ーやっぱり努力だけでは取れない営業があると
「はい」
ー訪問販売のときはガタイの良さが不利に働いたとも聞いているが。
「そうっすね、大きいですし、スーツ姿ですし、普通の人からしたら怖いと思うんです、自分が。お客さんからすれば『本当に東邦ガスの社員なのか?』って疑われることもあったんですけど、そう思われて仕方ないなっていうふうに思って」

ーそういったところで磨かれたご自身の強みは?
「もともと自分はネガティブだったんすけど、あるときからもう本当に『プラスに考えよう』と思ってやってきて、結構いい方向にいったので、本当にポジティブに行くっていうのを学んだというか、思いました」
ーそれでも社会人時代は厳しかったと
「社会人で1年目から結果を出さないと結構厳しいなって思ってたんで、そこでケガをしてしまったので、1年棒に振って、2年目でもあんまり結果出ずにっていう感じだったんで、やっぱ1年目は結構苦しかったです」
ーその苦しい時期を乗り越えられたのは?
「チームメイトもそうですし、いろいろみんな声かけてくれたりしたんで、それでやって来られたというのがありますね」