立浪監督からは「でかいな」と 加藤投手の監督の印象は?

ー立浪監督の印象は?
「入団会見のときにお会いさせていただいたんですけども、本当にチームのことを思ってくださっている方で、本当に『勝つ』っていう気持ちがとても伝わってきて、やはり自分もそれだけ期待されている分、しっかりやらなきゃいけないなっていうふうには感じました」

ー具体的にどんな言葉をかけられた?
「1人になった時には『でかいな』って言われたんですけど、全体の中で話をしていた時には『本当に期待している』って言われたので、やらないといけないなと思いました」

ー立浪監督もPL学園で厳しい練習で育ってきていると思いますが、その立浪監督のもとで野球をやるということは?
「自分も高校・大学と日本一厳しいって言われるところでやってきたので、それは同じ立場だと思うので、しっかり立浪監督についていきたいなって」

出身地・津山は「本当に田舎」 大阪・名古屋は「高い建物ばっかり」

ー指名されて両親は何と?
「今まで通りって感じです。喜んではいたと思うんですけど、全然何も変わらず今まで通りっていう感じ...いつも通りの両親でした」

ー津山市加茂町出身ですが、地元はどういうところ?
「今回帰省して思ったのは、やっぱり本当に田舎なんで『田舎は田舎でいいな』というふうに感じました」

ー高校から大阪に出られて、大学は東京、社会人では名古屋と都会ですが。
「普段、高い建物ばっかりで、人もいっぱいの中で過ごしているんで、改めてこれくらい静かなところに来たら、やっぱり落ち着けます」

ーちなみに名古屋の街の印象は?
「名古屋市はとりあず暑いのと、名古屋の街に関しては栄えているので、何をするにしても過ごしやすいと思います」

「大阪に行きたいな」強肩捕手として大阪の高校へ

ー子供の頃はどういう少年だった?
「小さい頃は、特に負けず嫌いだったかもしれないですね。本当に何かできなかったりしたら、結構悔しがっていたみたいなんで」

ー小学校2年生で野球を始められたということですが、そのきっかけは?
「1つ上の人が野球をやってて、楽しそうだなと思って始めました」

ー中学で硬式野球を選んだのは?
「それも一緒ですね。1つ上の先輩が入っていくので、まず自分もやりたいなと思ったんで」

ーその頃プロ入りするという気持ちはあった?
「いずれかはならないといけないって思っていたんで、実際になれてよかったなと」

ー高校から大阪に行った理由は?
「ただただ大阪に行きたかっただけでした。野球で一回県外に出たいと思っていたんで、岡山じゃなくて、とりあえず県外に出たいと思っていたんで、大阪の高校から声が掛かって、もう『大阪行きたいな』っていう感じでした」

ー加茂町に住んでいた反動?
「そうですね、とりあえず加茂から出たいなって思っていたんで。そのときキャッチャーだったんで、肩も強い方だったので、そういったところを評価していただいたのかなと」

主将として「正直うまくまとめられなかった」高校時代

ーちなみに高校時代はどういう感じだった?
「高校のときは、自分たちが一番上の代の時に、キャプテンをやらしていただいたんですけど、やっぱりいろんな地方から選手が来ているので、うまくまとめられなかったですね」

「みんな気が強かったり、正直うまくまとめられてなかったです。でもいい経験をさせてもらいました」

ープロ入りを意識され始めたのはいつぐらいの頃から?
「大学4年生とか...本当そのくらいですね」

ーそれまではどういうスタンスで野球に取り組んでいた?
「大学なら大学でしっかり活躍したいというふうには思っていました。そして社会人2年目で『プロに行きたいな』と考えだしました」

「大学が一番成長できたんじゃないかなって思いますね。野球の面でもそうですし、人間性の面でもそうですし、社会に出てどうすれば生きていけるか、みたいなところを、野球と一緒に教えていただいてたので、本当に大学でいろいろ学ばさせてもらいました」