破格の値段で店舗を借りる…月に1000万円を売り上げる店に

―――工夫の余地があると思い、すし業界に?
 人気の食べ物は、当時もいまもすしでしたからね。酢の仕事をしていて、すし店をいくつも見てきて、工夫の余地を感じていました。そして、26歳の時に堺市に持ち帰りと出前専門のすし店をオープンさせたんです。思い返せば、ある意味、あの時代は競争のない時代だったんですね。1960年代、1970年代は競争があるようでなかったようなものでした。出せば売れるので。

―――のちに回転ずしに進出して1号店は、堺市の中百舌鳥でしたよね。
 開業には、ストーリーがありましてね。私には、開業したら絶対に商売は当たると思っていた場所があったんです。ただ、当時は何しろお金がないでしょ?陰で妻がずっと交渉をしてくれていたんですが、あるとき「あの場所で商売できるよ」って。それも破格の値段で。当時、覚えていますけど、30万円の家賃が20万円くらいになったんです。しかも、保証金を出すお金がないと言ったら「ほな、もうええわ」って、タダ同然で。そこが、やがて月に1000万円を売り上げる店になるんですからね。

―――当時、お客さんがいっぱいの店を見てどんな気持ちでしたか?
 サービス業は儲けも大事ですけど、お客さんが喜んでくれているっていうのが基本なんです。いまでも覚えているのは、ある日、生きた車エビを「持って帰れ」って市場のおっちゃんが言うので、「ありがとー!」って持って帰って、それを回転ずしのベルトの上にフタつけて流したんですよ。生きたまま、安い値段で。そしたら、お客さんがフタをとると車エビがポンと飛び出るんですよ。お客さんは「キャーッ!」と叫ぶんです。「この値段でこの商品売るか!?」というのが、私の商売の基本です。