「酢メーカー」に就職したものの「工夫の余地がある」とすし店を開業
―――どのような幼少期を過ごされましたか?
1951年の生まれなんで、まだ戦争のにおいが残っていましたね。私は子どもの頃からどっちかというと1人でいるのが好きなほうでして、よく近くの川に釣りに行っていました。あまり大勢で遊ぶというのは好きではなかったですね。
―――大学を卒業して、一度就職されたんですよね?
堺市に本社がある「タマノイ酢」という醸造酢の会社に就職しました。当時の花形はスーパーマーケットで、いまで言うIT企業のような位置づけでした。「ダイエー」に始まり「イオン」とか「ニチイ」とか。そういう業界が花形でした。でも私はへそまがりでしたから、「みんながそっちに行くなら、自分は古い業界に行ったほうがいいだろう」という単純な発想と「古い業界の川上から見たほうが、色んなものが見えるんじゃないか、流通が見えるんじゃないか」と思いました。
―――どうでしたか、お酢の会社は?
面白かったですよ。本当に色々なことを教えてもらいました。無駄なものは何一つなかったです。でも、実は大学進学で岡山から大阪に出てくる時から「将来は自分で商売をしたい」と思っていたんですが、何をしようにも右も左も分かりませんので、「とりあえず」って感じで入った会社でした。会社員時代は色々なことがありましたよ。でも入社5年目か6年目の時に「ある部門を持たせてやる」と言われたのに、結局話がなくなって、この機会に自分で商売をやろうと。「さて、業種は何がいいかな?」と思った時に、やはり成熟した市場はダメだと。むしろ人気はあるけど、工夫の余地がある業種がいいんじゃないかと思ったんです。