入団も1軍での登板はたった9試合…プロ7年目の25歳で「戦力外通告」

しかし、川口さんを待ち受けていたのは、ケガ、そして制球難。高校時代の輝きは鳴りを潜め、1試合6暴投、1試合15個のフォアボールなど、不名誉な記録を打ち立ててしまいました。

(川口知哉さん)「キャンプが終わって、オープン戦のとき肩を痛めたんです。高校のときって、僕はあまりフォームを触られたり、アドバイスをもらうことってなかったんですけど、やっぱりプロ入ると、当然指導者もいっぱいいます。そういう人たちから助言をいただくと、結局それを鵜呑みにしてしまうといいますか、そこでちょっと自分に合わないものが当然出てきたのかなっていうのもあります。それに対して『自分が芯を持てていなかった』っていうのも今思うと感じるところではあります」

何をやってもうまくいかない。長く苦しい時間が続き、世間の注目も次第に遠のいていきました。

(川口知哉さん)「よく言われましたよ、『何してんねん』と。買い物に行ってても言われますし、ご飯を食べていても言われますし」

結局1軍での登板はわずか9試合、勝ち星を挙げることはできず、プロ7年目で戦力外通告。まだ25歳でした。

(川口知哉さん)「まだできるというよりは、一回もう野球はいいかなって、相当しんどかったので、一回ちょっと離れたいなっていう時期がありました」