指導者として第2の野球人生

引退後は、すぐさまボールを工具に持ち替え、実家の外装関係の仕事に転職。
(川口知哉さん)「例えば営業の仕事だったら、(過去を)掘り返される可能性もあるじゃないですか。その仕事であれば黙々と集中してできるみたいなのがあったので、父親と一緒に仕事をするっていうのを5年ぐらいやりました」
野球から距離を置いて5年、転機が訪れます。女子プロ野球リーグを作るから手伝ってくれないか、と。指導者として第2の野球人生を歩み始めます。
(川口知哉さん)「プロのとき、自分がさまよっているときに、人のいいところを見つけようとして、人の観察をずっとしていたんです。なぜこの人がいいのか、っていうのを自分の目でずっと見て、毎日観察して、それがあったので、この子はこれを教えた方が合うかもしれない、っていうのが何かわかったんです。自分は指導者は向いてるのかもしれないなっていう発想はそこで生まれたといいますか。結局プロで辛かったっていう経験がくつがえった瞬間といいますか」














