制度創設のきっかけは、ある医師の違法行為の告白
制度開始から35年が経過した「特別養子縁組制度」ですが、創設に深く関わったのが、宮城県石巻市の菊田昇医師でした。産婦人科の開業医だった菊田医師は、1960年頃から、予期せぬ妊娠で産まれた赤ちゃんを、子どもを望む夫婦に“密かに”引き渡し、独自に縁組を成立させていました。10年余りの間に約100件の縁組を成立させたと菊田医師は当時の取材に答えています。

その際、迎えた両親と子どもが「実の親子」となるよう行っていたのが出生証明書の偽造でした。菊田医師は、1973年に自らの違法行為を新聞紙上で告白して法整備の必要性を訴え、現在の「特別養子縁組制度」の創設につながりました。この制度の特徴は、迎えた子どもと法律上も戸籍上も“実の親子”になるということ。戸籍謄本には「長男」「長女」などと記載され、“産みの母親”の名前は記載されません。子どもは「実子」として生涯に渡り安定した家庭を得ることになります。

一方、積み残された課題とされているのが “産みの母親”の戸籍です。産みの母親の戸籍には、「出産」の記載が生涯残り続けます。菊田医師は、制度のこの点について不満を抱いていました。1989年頃と見られる菊田医師の直筆の原稿が残っています。