不合理とも思える弁解に、6人の裁判員も納得できない表情を浮かべているように見えた。

■せっかんが続いた幼少期、夫との出会い、妊娠…女の生い立ち
被告の女は裁判の中で、自分の生い立ち、夫との出会いについても口を開いた。
――両親は?
いません。3歳の時に母はがんで亡くなり、33歳の時に交通事故で亡くなった父は、ずっと東京にいて一緒に暮らしたことはない。
鹿児島で叔父と叔母に育てられたが、愛情を受けた記憶はなく、毎日せっかんが続いてきつかった。自分の殻に閉じこもって過ごしていた。
――夫とはどこで出会った?
出会ったのは12年前。35歳の時に整形外科病院の待合室でたまたま知り合った。見た目は怖かったが、話すと優しく楽しい人。
夫は被告の女(47)と出会う1年前に、前妻をくも膜下出血で亡くしていた。その前妻の息子を含めた3人で暮らし始めた。
――結婚生活はどうだった?
最初はけんかすることなく楽しく過ごしていた。結婚して3年経ったころ、子どもを妊娠したことがわかり家族みんなで喜んだ。女の子だった。
妊娠から6か月、突然背中に激痛が走り搬送された病院で副腎から出血していたことがわかった。
「自分を取るか、子どもを取るか」医師に選択を迫られ、夫と相談して子どもをあきらめた。