画家を志しながらも、戦地に送られ亡くなった画学生の作品が、瀬戸内市立美術館に展示されています。

その中には、高松市出身の若手画家が遺した作品もありました。

彼が描いた1枚のスケッチには、残された妻、そして長女への強い思いがこめられていました。

■日本画の若手画家だった夫、そして父

描かれたのは、牡丹の花。
繊細なタッチの中にもどこか優しさが滲み出ています。

たくさん描いた、植物や生き物の日本画。
描いた本人は、若くして戦地に散りました。

(川﨑文子さん(98))
「どんな絵を今度は描くのかなと思って。でもあの人は優しい人だからね。優しい絵しか描かないと思う」

唯一遺されていた、人物画です。

(高木千鶴さん(79))
「スケッチブックに残るっていうのはすごく嬉しい。『私を見てもらった』っていう感じがしますね」

■その名は「川﨑雅」将来有望な若手画家だった

港町、牛窓です。

瀬戸内市立美術館で開かれている絵画展。

太平洋戦争で命を落とし、画家の夢を閉ざされた47人の若者たちの作品が展示されています。

絵画を持ち込んだのは、長野県上田市の「無言館」館主・窪島誠一郎さんです。

(無言館 窪島誠一郎館主)
「彼が東京美術学校、今の上野の東京藝術大学の日本画科に入って、いちばん勉強が乗っていたころの作品だと思いますね。いわば川﨑雅の代表作」

香川県高松市の出身。
東京に暮らし、絵画を学んだ川﨑雅(ただし)さんの作品です。

(無言館 窪島誠一郎館主)
「描かれているものは日本画なんだけれども、非常にモダンな感じのする絵描きでしたね」

「風景画も多いんですよ。戦地に行って風景をずいぶんお描きになってそれも素晴らしい」

(記者)
「風景画は残っているんですか?」

(無言館 窪島誠一郎館主)
「きっと、奥様の手元には何点か残っていると思います。」

戦地でも絵を描くことを忘れなかったという川﨑さん。

時代に翻弄されながらも、なぜ絵筆を握り続けたのか。

その思いに触れるべく、川﨑雅さんが最後に暮らしていた東京を訪れました。