■“沖縄県民の気持ちは弊履のようにふみにじられる”
沖縄には疑念が絶えなかった。返還協定の審議の場に届けようと、屋良自らも筆を入れた建議書がある。基地を、県民の人権を侵害し、生活を破壊する、悪の根源と表現した建議書だ。
しかし、これを国会に届けようとした屋良が羽田空港に着陸する直前、自民党議員の動議により、審議中の返還協定は強行採決されてしまう。屋良は、日記にこう記した。
“党利党略の為には沖縄県民の気持ちというのは弊履のようにふみにじられるものだ。沖縄問題を考える彼らの態度、行動、象徴であるやり方だ”(屋良朝苗日誌 1971年11月17日より)
屋良は秘書の石川さんにこう打ち明けた。
石川さん
「復帰への悔恨。勝ち取った復帰であったが、県民の願ったものにならなかったという、そういう思いですよ」
■「間違いない。核管理部隊がいる」返還後も深まる疑念
1972年の返還から3年が経とうとしている嘉手納弾薬庫に、あるはずのないものが存在していた可能性を示す文書がある。
元那覇市議の大城朝助さんは、1981年、名護市辺野古のキャンプシュワブのゲート越しに、こんな場面を目撃、撮影した。返還前に核の部隊が管理していた建物に兵士が出入りする姿だった。

「地下に入る手すりがあって、出たり入ったりするのが分かった。看板みたら、Nuclear Ordnance Platoon Detach 1(核管理部隊第一分遣隊)。看板が分かった。間違いないなあ。核管理部隊がいるってことで、ここで核兵器の貯蔵もやってるんじゃないかという疑いを持ったわけです」
埋め立て工事が進む辺野古のキャンプシュワブには、2022年2月、31億円をかけて新たな弾薬庫が4棟整備された。

「核の共有とか言ってるけども、日本にも持ち込んできたら、(核を)貯蔵できるのは嘉手納と辺野古しかない。辺野古の埋め立て新基地っていうことで問題になってるけど、海の方が。こことセットですよ、弾薬庫と」

平安山さん
「憲法のもとに帰るんだということで、基地もなくなると思ってました。かえって良くならなくて悪くはなっていると思います。だんだん戦争のあれも自分たちで相手を、敵を作っていって…」
平安山さんがあのとき奪われた土地は、いまもフェンスの向こうにある。
(「報道特集」6月18日放送より)