アメリカ軍の占領下で沖縄に配備された核兵器。実は、今の基地の姿に結びつく鍵は、その「核」にある。返還50年の慰霊の日にあわせ、その歴史を紐解いていく。

■「沖縄の大地は再び戦場となることを拒否する」

<那覇市民会館>
老朽化で取り壊しが決まっている那覇市民会館。この建物の中で、50年前、初代沖縄県知事・屋良朝苗の声が響いた。

屋良 朝苗 初代沖縄県知事
「ここに沖縄県が発足したことを高らかに宣言いたします」

だが、屋良朝苗が続けた言葉には、ある本音がにじんだ。

<初代沖縄県知事 屋良朝苗>
屋良 初代沖縄県知事
「復帰の内容を見ますと私どもの切なる熱願が必ずしも十分に入れられたとは言えないことも事実であります」

切なる熱願。それは、基地がなくなり、沖縄が無条件で完全返還されること。だが、基地は、なくなるどころか、アメリカが自由に使えるまま残った。

2022年、戦後沖縄のもうひとりのリーダー・瀬長亀次郎の未発表の原稿が見つかった。そこには、復帰10年前の沖縄の姿が記されていた。

<瀬長亀次郎 未発表原稿(1962年6月12日執筆)>
“沖縄は全島核武装されているといってもいいくらいに、島のいたるところに核兵器基地が作られている。現在、原水爆が大量に貯蔵されている。”(瀬長亀次郎の未発表原稿 1962年6月12日執筆)

亀次郎は、日本復帰へ向け、屋良とともに民衆をリードしていた人物だ。

<瀬長 亀次郎氏>
瀬長 亀次郎氏
「平和な島は基地も核兵器もない島。この沖縄の大地は再び戦場となることを拒否する。基地となることを拒否する」

次女の内村千尋さんは、父の演説を思い出す。

瀬長亀次郎の次女 内村 千尋さん
「必ず言いますね。沖縄の核兵器基地をなくさないといけないみたいな。ただの基地ではなくて核基地がたくさんある中で生活していたということなので」